鎌倉殿の13人

いざ上洛!承久の乱で「俺たちの北条泰時」と共に出陣した“俺たち”のプロローグ【鎌倉殿の13人】

みな心一つに奉るべし(以下略)……尼御台・政子(演:小池栄子)の名演説に奮い立った御家人たち。

「朝廷なにするものぞ、我らが武士の都を守るのだ!」

さて、戦うと決まればさっそく準備……している内に、ちょっと迷いが生じてしまう。だって人間だもの。

「戦うとは言っても、積極的に京都へ攻め込むポーズをとってしまうのはいかがなものかと……」

ここは箱根あたりで迎え撃った方が「仕方なく戦ったんです感」を演出できるんじゃ……そんな弱気な(慎重論を唱えた)北条泰時(演:坂口健太郎)に、大江広元(演:栗原英雄)&三善康信(演:小林隆)が喝を入れます。

「バカモン!そんなことをすれば勝てる戦さも勝てんわい!」

「じゃ、じゃあ私の手勢が集まったら……」

「何を言うとるか!総大将たる者、家来を待つなど主客転倒。そなたの行く先どこであろうと、家来たちを付き従わせる心意気じゃ!」

(大将軍一人はまず進発さるるべきか)

「よいか、そなたは龍ぞ。ひとたび立てば雲はおのずと付き従うものぞ!」

(武州一身といえども、鞭を揚げられれば、東士ことごとく雲の龍に従うべきがごとし)

月岡芳年「大日本名将鑑 北条泰時」

時は承久3年(1221年)5月21日。こんなドタバタの末に鎌倉を出陣した(追い出された?)北条泰時。

「「……いざ行け!故右大将家(頼朝公)より授かりし、伝説の宝刀(※)を持つ勇者よ!」」

(※)建久3年(1192年)5月26日、当時10歳だった金剛少年は「……幼稚之意端挿仁惠。優美之由有御感(意:まだ小さいのに、思いやりがあっていい子だね)……」として太刀を褒美に与えられています。

とは言えさすがにもう夜も遅かったので、稲瀬川のほとりで一泊。翌5月22日朝にいよいよ本格的な出陣です。その軍勢わずかに18騎。本当に大丈夫なんでしょうか……?

それは小雨の朝でした

陰。小雨常灑。夘尅。武州進發京都。從軍十八騎也。所謂子息武藏太郎時氏。弟陸奥六郎有時。又北條五郎。尾藤左近將監〔平出弥三郎。綿貫次郎三郎相從〕。關判官代。平三郎兵衛尉。南條七郎。安東藤内左衛門尉。伊具太郎。岳村次郎兵衛尉。佐久滿太郎。葛山小次郎。勅使河原小三郎。横溝五郎。安藤左近將監。塩河中務丞。内嶋三郎等也。京兆招此輩。皆與兵具。其後。相州。前武州。駿河前司。同次郎以下進發訖。式部丞爲北陸大將軍。首途云々。

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月22日条

「あ~あ、何だかパッとしないなぁ……」

その日は曇りで、ずっと小雨が降っていました。こんな天気だと、何だかやる気が出ませんよね。

「ねぇ、やっぱり明日に延期しない?もう一日待てば手勢も集まるだろうし……」

「何アホなこと言ってンすか。それあの爺さんがたの前で同じこと言えますか?」

「……言えません」

「ですよね。それじゃあ出発しましょう。ホラ、門出の雨はお清めと言いますからね」

いざ出陣!『承久記絵巻』より

とか何とか卯刻(朝6:00ごろ)、渋s……もとい意気揚々と出陣した顔ぶれがこちら。

  1. 北条時氏(ほうじょう ときうじ。武蔵太郎、泰時の長男)
  2. 北条有時(ありとき。陸奥六郎、泰時の弟)
  3. 北条実義(さねよし。五郎、泰時の弟)
  4. 尾藤景綱(びとう かげつな。左近将監)
  5. 平出弥三郎(ひらいで やさぶろう。景綱の家人)
  6. 綿貫次郎三郎(わたぬき じろうさぶろう。同じく景綱の家人)
  7. 関実忠(せき さねただ。判官代)
  8. 平盛綱(たいらの もりつな。三郎兵衛尉、演:きづき)
  9. 南条時員(なんじょう ときかず。七郎)
  10. 安東藤内左衛門尉(あんどう とうないさゑもんのじょう)
  11. 伊具盛重(いぐ もりしげ。太郎)
  12. 武村次郎兵衛尉(たけむら じろうひょうゑのじょう)
  13. 佐久満家盛(さくま いえもり。太郎)
  14. 葛山小次郎(かずらやま こじろう)
  15. 勅使河原則直(てしがわら のりなお。小三郎)
  16. 横溝資重(よこみぞ すけしげ。五郎)
  17. 安藤左近将監(あんどう さこんのしょうげん)
  18. 塩河中務丞(しおかわ なかつかさのじょう)
  19. 内嶋三郎(うちじま さぶろう)……など。

数えてみると19人。『吾妻鏡』には18騎とあるのですが、これは恐らく尾藤景綱の家人である平出&綿貫を除き、泰時自身を加えて18騎という解釈でしょう。

ということは、実際にはそれぞれの家人や郎党などが従い、数十から数百騎の軍勢ではあったものと考えられます。

でもまぁ、これで上洛せよと言われたらやっぱり心細いですよね。しかし後に続く者を信じて突き進むよりありません。

東海道ルートを進む泰時たちと同時に、北条朝時(演:西本たける)は日本海側の北陸道ルートを出発。

「ようし、兄上には負けないぞ!」

サポートとして三浦義村(演:山本耕史)とその嫡男である三浦泰村(みうら やすむら。次郎)も出陣しました。

義時たちはお留守番

……さて、泰時たち若人にビシバシと喝を入れ、鎌倉から叩k……もとい送り出した長老たちはと言いますと。

右京兆。前大膳大夫入道覺阿。駿河入道行阿。大夫屬入道善信。隱岐入道行西。壹岐入道。筑後入道。民部大夫行盛。加藤大夫判官入道覺蓮。小山左衛門尉朝政。宇都宮入道蓮生。隱岐左衛門尉入道行阿。善隼人入道善淸。大井入道。中條右衛門尉家長以下宿老不及上洛。各留鎌倉。且廻祈祷。且催遣勢云々。

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月23日条

鎌倉で居残りです。「何だよズルいぞ!」とか言わないで下さい。もう皆さん結構なお年寄りなのですから。で、そのメンバーは以下の通り。

若武者たちに鎌倉の命運を託した宿老たち(イメージ)

  • 北条義時(演:小栗旬。右京兆)
  • 大江広元(前大膳大夫、入道覚阿)
  • 中原季時(なかはら すえとき。駿河入道行阿)……中原親能(演:川島潤哉)の子
  • 三善康信(大夫属入道)
  • 二階堂行村(ゆきむら。隠岐入道行西)……二階堂行政(演:野仲イサオ)の子
  • 葛西清重(かさい きよしげ。壱岐入道)
  • 八田知家(演:市原隼人。筑後入道)
  • 二階堂行盛(ゆきもり。民部大夫)……二階堂行政の孫
  • 加藤景廉(かとう かげかど。大夫判官入道覚蓮)
  • 小山朝政(演:中村敦。左衛門尉)
  • 宇都宮頼綱(うつのみや よりつな。入道蓮生)
  • 二階堂基行(もとゆき。隠岐左衛門尉入道行阿)……二階堂行政の孫
  • 三善康清(みよし やすきよ。善隼人入道善清)……三善康信の弟
  • 大井実春(おおい さねはる。大井入道)
  • 中条家長(ちゅうじょう いえなが。右衛門尉)

……などなど。中には「お前はまだ現役だろ」と思われるメンバーも混じっていますが、いくら戦時とは言え、鎌倉の維持運営も立派な任務です。

やっぱり地元の守りを固めてこそ、後顧の憂いなく戦えるというもの……という訳で、いつも通りお役所仕事に励むプラス、祈祷などなども頑張るのでした。

【あんどうただいえ が なかまになった!】

さて、雲は龍に従うもの……というわけで、泰時の後から続々従った御家人たち。その総勢は何と19万騎にも膨れ上がりました。

自去廿二日。至今曉。於可然東士者。悉以上洛。於京兆所記置其交名也。各東海東山北陸分三道可上洛之由。定下之。軍士惣十九萬騎也。

東海道大將軍〔從軍十万余騎云々〕
相州 武州 同太郎 武藏前司義氏 駿河前司義村 千葉介胤綱

東山道大將軍〔從軍五万余騎云々〕
武田五郎信光 小笠原次郎長淸 小山新左衛門尉朝長 結城左衛門尉朝光

北陸道大將軍〔從軍四万余騎云々〕
式部丞朝時 結城七郎朝廣 佐々木太郎信實

今日及黄昏。武州至駿河國。爰安東兵衛尉忠家。此間有背右京兆之命事。籠居當國。聞武州上洛。廻駕來加。武州云。客者勘發人也。同道不可然歟云々。忠家云。存義者無爲時事也。爲棄命於軍旅。進發上者。雖不被申鎌倉。有何事乎者。遂以扈從云々。

※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月25日条

東海道・東山道・北陸道それぞれの顔ぶれは以下の通りです。

【東海道……10万騎】
北条時房(演:瀬戸康史)・北条泰時・北条時氏・足利義氏(あしかが よしうじ)・三浦義村・千葉介胤綱(ちばのすけ たねつな。千葉介常胤の曾孫)
※主だった者のみ。名前順は『吾妻鏡』による。
※時房が先に来ていますが、後からきて大将を交代したのでしょうか。いや、でもやはりここは我らがトキューサ。きっと「俺たちの泰時」のサポートに回るはずです。

【東山道……5万騎】
武田信光(たけだ のぶみつ。武田信義の子)・小笠原長清(おがさわら ながきよ。信光の従兄弟)・小山朝長(おやま ともなが。小山朝政の子)・結城朝光(演:高橋侃)

【北陸道……4万騎】
北条朝時・結城朝広(ゆうき ともひろ。結城朝光の子)・佐々木信実(ささき のぶざね。佐々木盛綱の子)

さて、泰時たちが駿河国までやってくると、父・義時の家人である安東忠家(あんどう ただいえ。次郎兵衛尉)が駆けつけてきました。

泰時出陣の報せに駆けつけた安東忠家(イメージ)

「よぅ武州(泰時)、俺も連れてってくれよ」

【なんと あんどうただいえが かけよってきて なかまに なりたそうに こちらをみている!】

なかまに してあげますか?

はい
⇒いいえ

「ダメだ。そなたは謹慎中であろう」

「相変わらずクソ真面目だなオイ。平時なら俺だってワガママは言わねぇ。だが今は戦時だ。それも鎌倉の命運を分ける大勝負、黙って見てなどいられんよ」

「しかし、父上が……」

「細かい事ァいいンだよ。武功を立てれば罪は帳消し、討死にすりゃあ右京兆(義時)も始末の手間が省けるんだから……さぁ行こうぜ!今は一人でも戦力が欲しい局面だろ?」

「こら、勝手に……」

【あんどうただいえ が かってに なかまになった!】

とまぁそんな事があったからかどうだか、こうして「俺たちの泰時」はどんどん増える「俺たち」と共に一路京都を目指すのでした。

果たしてNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、泰時の出陣そして奮闘がどのように描かれるのか。もう今からワクワクしますね!

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月
  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
角田晶生(つのだ あきお)

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