——–パラダイムメモ———–
お久しぶりすぎる更新です。最近少し時間ができました。
陰謀論におけるユダヤ教によるゴイム(家畜)説は昔から語られておりますね。ユダヤ国際金融によって世界が牛耳られ、彼らからすれば我々はゴイムであるという事です。
この手の話はどこかで聞いたり一瞬ハマって通過した経験がある方々もたくさんいると思います。しかし日常を忙しく生きているとすぐに色々と考える事を忘れてしまいますね。日常の中では目の前の事が大事です。目の前の人間関係や仕事、娯楽や雑事をこなすことが大切なのです。
私はその姿勢が最も正しいと思います。
こうした事を踏まえて日常を生きる中で、しかしどうしても説明のつかない不思議な事がチラリチラリと隙間から見える事があります。それはほんの些細な偶然だったりシンクロニシティーだったり、誰でも何かしらの経験はあるハズです。
それをただの偶然と考えず、アンテナの受信と捉え、その辺りの感受性を伸ばすという事は、人生の全てにおいて良き影響をもたらすと私は思います。
前置きが長くなりましたが、我々が生きているこの次元より高次の次元への認識力を高める手法について、触れていきたいと思います。
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
どんな人間の中にも、感覚的世界を超えて、より高次の諸世界にまで認識を広げることのできる能力が微睡んでいる。
ルドルフ・シュタイナーの著書に最初の条件が書かれています。
- 真理と認識に対する畏敬の感情を持つ
我々よりもっと高次の存在があるという深い感情を生み出さなければ、高次の存在へ高まる力を内部に生み出せないであろう。
少し意外ですが、瞑想とかそういう事ではなく、尊敬や敬意のような感情が認識にかなり関係があるというのです。そういった感情は魂にとって栄養分に等しい存在であり、認識活動に活力を提供する。
逆に軽蔑したり捌いたり批判や反感などは認識活動を麻痺させ、不活発にする。
私の経験則も交えると、これはエゴの蓋と捉えています。
軽蔑や批判や反感などの感情は、他者を捌くわけですから分離の感情といえます。分離するという事はエゴが強くなっているという事です。
どうしてエゴが強くなると感受性が鈍くなるかというと、高次や外界から発せられる様々なものを、私達は意識下においても無意識下においても感知していると思うのですが、エゴがフィルターとなって、その人々なりの解釈に捻じ曲げられるからです。
例えば同じ太陽を見ても、その人々のエゴフィルターによって受け取り方は様々です。良し悪しではなく見たものの感想が人それぞれ違うのはその為です。
エゴはその人の色でもあるので消し去る事はできませんし、時には防御壁にもなるので必要なものですが、あまりに強く厚いと風通しも悪いという事です。
高次の存在に対する尊敬や敬意のような感情は、分離ではなくその存在につながろうとする心の動きなので、エゴの蓋が薄まるのだと思います。
そして混合しがちですが、主観とエゴは違います。まず私は私であるという主観があり、そこに人それぞれのエゴが乗っかっている形です。エゴが薄まれば純粋主観となり、様々な繊細な事象も捻じ曲げる事なく感知できるようになるという事です。
高次の認識というのは、それくらいささやかで繊細なものから始まります。ちょっとでもエゴの動きが強まるとすぐ吹き飛んで、人それぞれのエゴフィルターを通したものに姿を変えてしまいます。筆の毛先一本で文字をなぞるくらい繊細なものです。
ただしエゴ自体は決して悪いものではないので、純粋主観とエゴと分けて考える認識があって、その上で畏敬や尊敬の感情を持つというのが正しい姿勢であると思います。
コメント
面白いです、わかりやすく世界の本質を書かれているのですね(^-^)
かなり気にいりました(≧∇≦)勉強にもなります!
ありがとうございます。漫画で色々こっちの分野を書いていこうと思っています。
自分にしか描けない事もたくさんあると思いますので、なるべく形にしていきたいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
コブラと悟空w
ポイントはそこですねw
更新楽しみにしてますよ。
久々に更新しました!!