人物

【 経営の神様 】松下幸之助について調べてみた

大正7年(1918年)、妻の「むめの」、むめのの弟・歳男とともにわずか3人で設立した「松下電器器具製作所」。

パナソニック」に社名を変え創業100年を迎えた現在、グループ合わせて27万人を擁する巨大企業へと成長した。パナソニックは車載用電池やIoTなどの新しい分野にチャレンジを続けているが、その根幹は常に創業者「松下幸之助」の哲学が受け継がれている。その神髄に迫った。

熱海会談

松下幸之助

【※松下幸之助 wikiより】

松下幸之助が「経営の神様」と呼ばれるようになったのは、前回の東京五輪が開催された1964年のある出来事がきっかけだった。高度経済成長のいきすぎから金融引き締めが行われ、景気が急速に後退する中、松下電器産業(現パナソニック)も減収減益に見舞われ、系列の販売会社や代理店の多くが赤字経営に陥った。

深刻な事態を打開するため、同年7月、熱海で開催されたのが「全国販売会社代理店社長懇談会」、世に言う「熱海会談」である。

販売店からは苦情や要望が尽きず、会議は3日間にわたった。最終日、壇上の幸之助は涙を浮かべて団結を訴えた。まず我が社自身が改め、その上で販売店にも求める点があれば改善を求めて危機を打開していくしかない。売り上げの減少などはこの際問題ではない、と。

松下幸之助 の原点

その後、会長職にあった幸之助は自ら営業本部長代行として現場に復帰。陣頭指揮をとって一地域一販売会社制度や事業部・販売会社直販取引、新月販制度など、新たな販売網の改革を実行し、自社の業績回復と共に販売会社の赤字解消につなげていったのである。

自らの非を素直に詫び、先頭に立って危機を克服したことで「経営の神様」との呼び名が広まった幸之助の原点は、15歳まで遡る。

当時、大阪市内を走っていた市電を見て電気の将来性を予感し、大阪電灯に就職した。20歳で井植むめのと結婚し、22歳で退社、独立。改良ソケットの開発に取り組み、今から100年前の1918年に「松下電器器具製作所」を設立した。

水道哲学

経営の神様

【※二股ソケット wikiより】

家庭にコンセントがない時代に電燈用ソケットから電源を取れる二股ソケットをヒットさせ、1923年にはそれまで点灯時間が短いなど、不満が多かった自転車用ランプの欠点を解消した砲弾型電池式ランプを開発、消費者の困りごとを解決する電気製品を次々と世に送り出す。

1927年には当時贅沢品だったアイロンを技術改良と大量生産によって価格を下げたスーパー・アイロンのほか、自転車から外して使える角型ランプを発売。このとき初めて「ナショナル」の商標が付けられ、当時の中小企業では考えられない大々的な販促宣伝キャンペーンが展開された。

そして、1932年には「第1回創業記念式」が開かれ、産業人として果たすべき真の使命を説いた。

『水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく物資を豊富にかつ廉価に生産提供することである。それによってこの世から貧乏を克服し、人々に幸福をもたらし、楽土を建設することができる。我が社の真の使命もまたそこにある』

この使命を達成するには永い年月が必要だとして「250年計画」も発表。壮大な計画に出席した全社員が興奮したという。

週休2日制の始まり

経営の神様

1939年には規模が大きくなった組織を製品分野ごとに3つに分ける「事業部制」を日本の企業としては初めて導入。幸之助は体が弱かったこともあり、自分だけで経営全体を見渡す限界を自覚していた。そのため、製品の開発から生産、販売まで一貫して責任を持つ独立採算制によって、人に任せ、人を育てる経営をいち早く打ち出した。戦前のこの時代としては他に例のない画期的な機構改革であり、その後の大躍進の大きな原動力となった。

戦前に事業部制を取り入れ、戦後間もなくグローバル化を見据えるなど数々の先鞭をつけてきた幸之助だが、今では当たり前の「週休2日制」を日本で初めて導入したのも当時の松下電器産業だった。

1960年に「今後、世界と互角に競争するためには能率を飛躍的に向上させなければならない。それには休日を週2日にし、十分な休養をとる一方で、文化生活を楽しむことが必要になる」と5年先の導入を決定。

前述のように熱海会談が必要なほど景気は後退していたが、公約通り1965年に「週5日制」の実施に踏み切った。

マイナスをプラスへ

経営の神様

【※大阪市東成区内にある松下幸之助起業の地の石碑 wikiより】

この頃、すでに経営の神様の呼び名は国内のみならず、海外でも広く知られるようになり、62年には米国の有力誌「TIME」の表紙に日本人経営者として登場。特集記事も組まれた。

1973年、創業55周年を機に『やるべきことはやり尽くした。我ながら「よくやった」と頭を撫でてやりたい気持ちである』と会長を退任する。

だが、経営の第一線は退いたものの、日本の行く末を案じた幸之助は、私財70億円を投じて「松下政経塾」を開塾。日本の政財界に大きな足跡を残していった。

晩年、成功の理由を問われた幸之助は「貧乏で学問もなく、体が弱かったこと」を挙げたという。貧乏ゆえに商売に励み、学問がないから衆知を集め、体が弱いから人に任せる事業部制などの組織改革を行った。

他人から見ればマイナスにしか思えない要因を大きくプラスに変える力こそが、今日の日本の礎となっている。

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