人物(作家)

伊藤野枝 ~自由恋愛の神と呼ばれたが殺された女性解放運動家

伊藤野枝とは

伊藤野枝とは

※伊藤野枝 wiki(c)public domain

伊藤野枝(いとうのえ : 1985~1923)は、日本の婦人解放運動家であり、作家、翻訳者、編集者など多くの才能を持った女性である。

明治44年から大正5年にかけて結成された青鞜社(せいとうしゃ)の一員で、機関誌『青鞜』において、男尊女卑や女性の中絶に関する権利、自由恋愛、廃娼など、現在でも問題になっている話題について積極的に執筆・翻訳し、男女平等のために戦った。

今回は、日本の女性の未来のために命をかけて戦った、伊藤野枝を追っていく。

青鞜社と大杉栄

伊藤野枝とは

雑誌『青鞜』。デザインを担当したのは、後に高村光太郎の妻となる長沼千恵子

野枝(戸籍上はノヱと言う名前だが、ここでは野枝と統一)は、福岡県糸島郡で7人兄妹の3番目として生まれた。

1909年(野枝19歳)からは地元で郵便局員として勤務しながら、雑誌に短歌や詩を投稿する生活を始めた。

野枝は東京への憧れを強く持ち、親戚を頼って上京すると、1912年からは平塚らいてうが率いる女性文学集団“青鞜社”に通い始める。

当時の「新しい女たち」と出会い、親交を深めながら、野枝は多くの刺激を受け、アメリカのアナキストであるエマ・ゴールドマンの著書『婦人解放の悲劇』の翻訳や、自作の詩『東の渚』などを発表すると、青鞜社の中で頭角を現していく。

1915年には雑誌『青鞜』の編集を受け継ぎ、「無主義、無規則、無方針」をモットーに、それまでエリート階級の女性にのみ解放されていた、誌面の執筆を一般女性に向けて解放することになった。

使命に燃える野枝だったが、実は当時には珍しく、恋愛結婚をしていた。

その相手は辻潤(つじじゅん)という英語教師(その後、翻訳家、思想家)であったが、1916年に辻とは離婚し、翌月からはアナキズム運動の中心人物であった大杉栄(おおすぎさかえ)と交流を持つようになる。※アナキズムとは政府や権力を害悪と考える無政府主義

伊藤野枝とは

※社会主義者として活動していた大杉栄

激しい恋愛をした2人は、同年の秋には同棲を開始するが、大杉にはすでに内縁の妻がおり、さらには神近市子(かみちかいちこ)という愛人まで居た。

その三角関係に野枝が参入し、この4人の奇妙な関係は、11月に神近市子が旅館の一室で大杉を刺すという殺人事件未遂にまで発展した(日蔭茶屋事件)。

しかし、野枝はこの四角関係に勝利。

大杉とのあいだに5人の子どもたちを設けた。子どもたちには“エマ”、“ネストル”など西洋の名前をつけていたが、後年すべて改名されている。

過激な社会運動のため、官憲(警察関係の役人)に監視される生活を送りながらも、大杉と子どもたちとの幸せな生活を送っていたのである。

甘粕事件

激しく、情熱のままに生きた野枝であったが、その最期は思いもがけない形で訪れる。

関東大震災の直後である1912年9月16日、大杉栄と野枝、そしてたまたま大杉家に滞在していた大杉栄の甥である橘宗一(当時6歳)が、憲兵によって連れ去られ、消息を絶った。

数日後、大杉の友人である新聞記者の安成二郎が、野枝たち3人が行方不明であることに事件性を感じ、警視庁が捜査したところ、3人は連れ去られた憲兵司令部にて、首を絞められて殺されたということが判明した。

事件を報じる毎日新聞の紙面。10月の報道規制解除後のもの。

主犯であった憲兵分隊長の甘粕正彦(あまかすまさひこ)と森慶次郎が投獄された。

殺害された野枝らの遺体は井戸に捨てられていたが、数十年後に死因鑑定書の資料が見つかり、それによると2人とも肋骨が何本も折れており、殺害時には相当の暴力をふるわれていたということが判明した。

事件の背景として、関東大震災が起こった混乱に乗じ、無政府主義者たちが朝鮮人を扇動して騒動を起こすというデマが流されていたことが原因だそうだ。

冷静に聞いていれば信じられないような話であるが、事実、事件の主犯者となった甘粕正彦はその噂を信じ、以前から無政府主義者として見張っていた大杉と野枝を殺害することを決めたのだと言う。

当初、この甘粕事件については情報規制がかけられており、新聞も野枝の名前を出すことは禁止されていたが(大杉の名前は報道された)、情報規制が解禁されると、わずか28歳で殺された野枝の死や、無関係の6歳の子どもが殺されたというショッキングな事実に、社会は大きく動揺したという。

野枝は、狂気とも思える混乱の中、暴徒の犠牲者になってしまったのである。

野枝を題材にした芸術作品

波乱万丈で激しい野枝の生き方に惹かれる芸術家は多く、野枝を題材にした多くの芸術作品が生み出されている。

(深澤欣二監督作・映画『華の乱』)

小説:
野枝を題材とした作品は数えきれないほどであるが、その中でも有名なのが、近藤富枝・著『伊藤野枝(人物日本の女性史)』であろうか。
また、瀬戸内寂聴(晴美)も、自身の作品集の中で、野枝を題材にした話を書いている。

演劇:
1980年代から、伊藤野枝を題材にした作品が多く作られている。

代表作は宮本研・作『ブルーストッキングの女たち』、『美しきものの伝説』。ブルーストッキングとは、イギリスの婦人運動グループの名称である。『青鞜』とは、ブルーストッキングという意味である。

映画:
1960年代、小森白監督の『大虐殺』が公開。伊藤野枝役には宮田文子。

1988年には深澤欣二監督の『華の乱』が公開。与謝野晶子を吉永小百合が演じ、伊藤野枝役には石田えり、大杉栄役には風間杜夫がキャスティングされた。

婦人解放運動家

女性解放の運動家として、女性の権利を勝ち取るために奔走した伊藤野枝は、『過激』『身勝手』、はてには『悪魔』とまで呼ばれながらも、自分の人生を貫き、激しくて短い生涯に幕を閉じた。

大杉と野枝の間に生まれた5人の子どもたちは、突然両親を殺され、また世間の非難や偏見の中にさらされながらも、懸命に生きたという。(末っ子の男児は1歳で夭折)

特に、4女である伊藤ルイ(本名はルイズ、のちに留意子と改名)は、自分なりに両親の想いを受け継ぎ、作家として多くの作品を残している。

 

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