日本史

日本三大仇討ち(曽我兄弟の仇討、赤穂事件、鍵屋の辻の決闘) 【武士の生き様ご覧あれ!】

日本に多くのある三大○○

日本には大小様々であるが日本三大○○が多く存在している。

例えを出すと日本三大湖(琵琶湖、霞ヶ浦、サロマ湖)や日本三大珍味(カラスミ、このわた、ウニ)など多種多様なものがある。

歴史の方面に目を向けてみると維新三傑(西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允)や三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)など、歴史でも多種多様な日本三大○○がある。

その中で、今回は日本三大仇討(曽我兄弟の仇討、赤穂事件、鍵屋の辻の決闘)についてわかりやすくご紹介する。

曽我兄弟の仇討ち

日本三大仇討ち(曽我兄弟の仇討、赤穂事件、鍵屋の辻の決闘)

曽我兄弟

一つ目の仇討は鎌倉時代初期に起こった「曽我兄弟の仇討ち」である。

首謀者は名前の通り、曽我佑成(そがすけなり)と曽我時致(そがときむね)の2人である。

この仇討の発端は事件の約20年前に遡る。2人の祖父にあたる伊東祐親(いとうすけちか)は親族の工藤祐経(くどうすけつね)から所領のことで恨みを買われていた。

安元2年(1176)工藤祐経の放った刺客に、伊藤祐親は2人の父である河津佑泰(かわつすけやす)と共に襲われ、刺客が放った矢によって佑泰は絶命してしまった。

残された曽我兄弟は父を殺した祐経に恨みを抱きながら生きた。一方で祐経は源頼朝の御家人となり、寵臣として仕えていた。

そんな相反する人生を送っていた二人だったが、建久4年(1193)、頼朝が富士の裾野(現在の静岡県)で狩り(富士の巻狩り)を行っていた。これには祐経も参加していて、5月28日の夜、曽我兄弟は酒を飲んで酔っていた祐経を討ち果たした。

騒ぎを聞きつけた武士たちに囲まれるも2人は武士たちを斬り伏せていく。10人ほど斬り伏せたがついに兄の佑成は仁田忠常によって討たれた。弟の時致は逃げることはせず、そのまま頼朝を討ち果たそうとする。しかし、女装の荒武者・五郎丸によって拘束されてしまう。

頼朝は翌日、時致から仇討に至った理由を聞き助命を考えるが、祐経の子、犬房丸(後の伊東佑時)が泣いて訴えてきたため、助命は破棄となり、時致は処刑されてしまうのだった。

この仇討関連で起きた失言により、頼朝の弟である源範頼は失脚し幽閉にまで追い込まれている(事件直後、源頼朝がしばらく消息不明となり、心配する母の政子に範頼が「範頼が控えておりますのでご安心を」と手紙を送ったことで謀反の疑いをかけられた

また、武士社会において仇討の模範とされている。

赤穂事件

日本三大仇討ち(曽我兄弟の仇討、赤穂事件、鍵屋の辻の決闘)

赤穂浪士討ち入りの図

二つ目の事件は江戸時代前~中期に起こった「赤穂事件」である。首謀者は大石内蔵助を筆頭にした旧浅野家家臣の武士47人である。

この仇討の発端は赤穂藩主、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が高家の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に持っていた遺恨から始まる。

元和3年(1683)浅野内匠頭長矩は、霊元天皇勅使(ちょくし: 天皇が出す使者)である花山院定誠千種有能を、饗応(きょうおう: 酒や食事を出してもてなす)する勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)に命じられた。

この時の指南役が高家出身の吉良上野介義央(きらこうずけのすけ)であり、ここで初めて浅野は吉良と出会うことになる。

しかし浅野は吉良に対して恨みを持つようになり、ついにはそれが爆発し江戸城松の廊下で吉良を斬りつけてしまう。

浅野が恨みを持った理由は諸説あり、「浅野からの謝礼が少なかったことで吉良から日頃嫌がらせを受けていた、浅野家秘蔵の茶器を吉良が欲しがったが浅野が断り関係が悪化した、吉良の賄賂要求を浅野が拒否した」など、様々な説がある。そして、それらに対して浅野が吉良に辱められた怒りが積もり積もって、短気な性格に火がついてしまい、このような沙汰に及んだとされている。

取り調べを受けた浅野は吉良に個人的遺恨があって切り付けたことは認めたが、動機や経緯は明かすことはなかった。

その時の江戸城は朝廷の使者を呼んでの最も格式高い行事を行っていた最中だった。このような事態を起こした浅野内匠頭に、幕府は即日切腹を申し付けると同時に赤穂藩はお取り潰しとなる処分を受けることになる。

当然、当時の法律には喧嘩両成敗があり、本来は私闘を起こした互いに責任があるので2人とも切腹処分を受けるという内容だった。

日本三大仇討ち(曽我兄弟の仇討、赤穂事件、鍵屋の辻の決闘)

※大石良雄の肖像画(大石内蔵助の名で有名)

しかし、吉良はお咎めなしという形となり、この結果に赤穂藩の家臣は反発を起こし、筆頭家老の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を中心に対策を練っていた。この時点での大石は浅野家再興を視野に動いており、吉良を討ちとることは視野に入れていなかった。

やがて、浅野家再興が不可能といった形になると、大石は仇討ちをする為に家臣たちを集めて京都から江戸の吉良邸へ向かった。そして、元禄15年(1703)の12月14日、大石を含めた47人は吉良邸へ討ち入り、見事吉良を討ち取ることに成功する。吉良の首は内匠頭がいる泉岳寺に供えた。

吉良を討ち取った46人(1人逃げたとされている)は幕府にこのことを報告した。報告を受けた幕府は処分に対して当初斬首を考えたが、46人の武士の面子を通すため切腹とし、命令に従い46人は潔く切腹したのだった。

鍵屋の辻の決闘

日本三大仇討ち(曽我兄弟の仇討、赤穂事件、鍵屋の辻の決闘)

※伊賀越復讐の石碑 wiki(c)

三つ目は江戸時代初期に起こった「鍵屋の辻の決闘(伊賀越の仇討)」である。

首謀者は荒木又右衛門(あらきまたえもん)と渡辺数馬(わたなべかずま)の2人である。

この仇討の発端は数馬の弟、渡辺源太夫(わたなべげんだゆう)を巡る略奪愛から始まる。源太夫は当時の岡山藩主池田忠雄の寵愛を受けていた小姓だった。

藩士の河合又五郎(かわいまたごろう)は源太夫に恋をしてしまい関係を迫るが、当然断わられてしまう。これに怒り狂った又五郎は源太夫を殺害し、脱藩して江戸で旗本に匿われた。池田忠雄は又五郎を討伐するため、身柄を要求するが旗本と争いになってしまう。

やがて、池田忠雄が病気で亡くなり、又五郎が先の争いの代償として江戸追放を受けると、渡辺数馬は池田忠雄の意志を受け継ぎ脱藩し、又五郎討伐へ本格的に動き出すことを決意した。

しかし、剣の腕が経たない数馬は姉婿で剣術指南役の荒木又右衛門から指導と助太刀を頼むことにした。

そして、寛永11年(1634)に又五郎の居場所を突き止めることに成功する。又五郎は危険を察知し江戸へ戻ろうとするが、4人(数馬と又右衛門と門弟2人)は道中の鍵屋の辻(現在の三重県)で又五郎を待ち伏せにした。

同年11月7日、鍵屋の辻を通行した又五郎一行に数馬と又右衛門が斬りかかり決闘が始まった。

又五郎側は11人いたが手練であった河合甚左衛門桜井半兵衛が早々に討ち取られてしまい戦意喪失した5人が逃亡。又五郎含む4人が死亡、2人が負傷した。

数馬側は4人中1人が死亡し3人が負傷した。

なお、又五郎は最後は取り囲まれ、数馬と一対一の戦いを強いられたが、双方剣術に慣れておらず決闘は数時間にも及んだ。ようやく数馬が又五郎に傷を負わせたところで又右衛門がとどめを刺したという。

本懐を成し遂げた数馬と又右衛門は賞賛を受け、その後に鳥取藩に匿われるが、又右衛門は翌年に突然死を迎えている(毒殺説や生存隠匿説など諸説ある

最後に

日本で実際に起きた3つの仇討ちを取り上げてみた。

仇討ちに至る理由は様々であるが、1つだけ言えるのは全員非業の死を迎えてしまった主君や家族の無念を晴らしたい一心だったということである。

このことが現代でも評価され、歌舞伎やテレビにも取り上げられている所以ではないのではないかと思われる。

 

檜

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小学校の頃から歴史が好きで気がつけば大学で日本史を専攻にするくらい好きになってました。戦国時代~江戸時代が一番好きでその時代中心となりますが、他の時代も書きたいと思っています。

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