幕末明治

幕末政治史をリードした陰の立役者『小松帯刀』について調べてみた

慶応期の政局と小松帯刀

慶応元年(1865)4月に小松は京都を出発し、西郷吉之助や坂本龍馬らとともに鹿児島に向かいます。

国力を蓄えて薩摩藩の基盤を固めることが目的です。

とくに薩摩海軍の充実を図っています。

小松自身も長崎に出張して貿易計画を行なったりしました。

 

このとき、長州藩からも井上聞多・伊藤俊輔が武器購入のために長崎へ来ました。

当時の長州藩は自藩だけでは武器購入が難しい状況だったのです。

薩摩藩名義で購入することで、長州藩に武器を流すということを行なうために小松は井上・伊藤を薩摩藩邸に入れます。

「薩長同盟」のための融和が進んでいました。

 

10月に小松は西郷とともに再び上京します。

上方では将軍が上洛して、幕府が長州再征を唱えていました。

しかし、薩摩藩としては今回の出兵には断固協力しないつもりでした。

 

慶応2年(1866)1月、長州藩の木戸準一郎が京都薩摩藩邸に来ました。

長州再征への対策についての約束「薩長盟約」を締結。

結局は幕府による長州再征は失敗に終わりました(幕長戦争)。

 

慶応3年(1867年)、将軍となっていた徳川慶喜との融和路線を担ったのが小松でした。

参与会議以降、薩摩藩と慶喜は何度も対立しましたが、その流れを転換させようとしたのです。

再び、越前藩・土佐藩・宇和島藩・薩摩藩(四侯会議)が集まって徳川慶喜と折衝を開始しました。

今回は兵庫開港問題と長州藩処分問題のふたつが議題でした。

しかし、ふたつの問題の優先順位をめぐり、またしても不調に終わりました。

ここで、久光や小松ら京都の薩摩藩首脳は徳川慶喜たちに武力で反正を迫ろうとはじめて考えました。

 

6月には、土佐藩の後藤象二郎らと「薩土盟約」を締結。

王政復古・大政奉還などを目的に活動することを薩摩藩と土佐藩の間で確認し合ったのです。

前提条件としては、武力を背景にしているということ。

薩摩藩は土佐藩の京都への出兵を期待しました。

しかし、のちに土佐藩が京都へ出兵できなかったことで、この盟約は破棄されています。

小松は9月に芸州藩辻将曹と出兵について交渉し、のちに薩長芸出兵協定(薩摩・長州・芸州藩の京都出兵を約束したもの)が結ばれるに至りました。

ところが、京都にいる薩摩藩首脳は出兵をねらっていたものの、一方で国許の鹿児島では反対論が強かったのです。

また、出兵に同意した芸州藩も動揺しており、土佐藩が進める大政奉還に期待をかけていました。

さらに、土佐藩からも小松に対して働きかけがあり、彼は大政奉還実現に向けても動いています。

このあたりの小松帯刀の葛藤はもっと研究されるべき事項でしょう。

 

おわりに

大政奉還後、小松は一時、鹿児島に帰りますが、病状が悪化して王政復古の政変の際には鹿児島で療養していました。

それでも、新政府から請われて上京。

おもに外交政策を担って活動していましたが、明治3年(1870)に若くして亡くなります。

 

小松について、より詳しく知りたい方は高村直助著『小松帯刀』(吉川弘文館、2012年)がオススメです。


『小松帯刀』(高村直助著 吉川弘文館 2012年)

最近では、テレビ番組などでも解説されている小松帯刀。

幕末薩摩藩は、西郷隆盛・大久保利通だけでは語りきれないのです。

 

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「幕末維新史を研究する大学生」

コメント

  1. アバター
    • 琥珀
    • 2017年 5月 17日 12:43pm

    はじめまして、
    私は、今に伝わる幕末について、強い不信感を持っています。

    幕末を語ったのは明治政府です。
    明治政府初代総理大臣伊藤博文のもとで語られています。
    初代宮内大臣田中光顕によって、桂の手紙に浪人の龍馬が裏書したものを「薩長同盟」の証
    として宮内庁に収めています。
    この中に登場しているのは、桂と龍馬です。 薩摩藩・長州藩の公文書ではありません。
    ここに、幕末の不思議さが残されています。

    幕末は薩摩藩久光公のもと、家老小松帯刀によって、
    長州藩に手を差し伸べたというのが真実ではないでしょうか?

    幕末のおかしさは、語った側にあると私は考えています。

    是非、歴史をお仕事にされてる方々に、深く、深く、お調べいただきたいと願っています。

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