幕末明治

函館の五稜郭を造った男・武田斐三郎

五稜郭の設計

函館の五稜郭を造った男・武田斐三郎

※五稜郭タワーから望む五稜郭 wikiより

武田斐三郎(たけだあやさぶろう)は、明治以後は武田成章(しげあきら)を名乗った人物ですが函館にある星型の西洋式の城郭である「五稜郭」を生んだ武士であり技術者でした。

「五稜郭」と言えば戊辰戦争の終盤に当たる函館戦争において、榎本武揚土方歳三蝦夷共和国を宣言し、新政府軍との激しい戦いの舞台となっいたことでも知られています。

「五稜郭」の特徴である星型の形状は、攻め寄せる敵に十字砲火を浴びせるためのものであり、火砲を用いた近代戦に対応するための設計となっていました。

如何にして武田がこの「五稜郭」を設計するに至ったのか調べて見ました。

洋学の習得

※武田斐三郎の彫像(五稜郭)

武田は、文政10年(1827年)に伊予大洲藩士・武田敬忠の次男として伊予に生まれました。祖先は武田信玄で有名な甲斐武田氏の流れを汲むとも伝えられています。

武田は15歳のときに藩校である明倫堂に学ぶと同時に、漢方医学も学びました。その後、藩に願い出て嘉永元年(1850)の22歳のときに大阪の適塾に出て学びました。

適塾は、蘭方医として著名であった緒方洪庵が主宰していた学問所で、福沢諭吉大村益次郎などを輩出したことでの知られていますが、ここで頭角を表した武田は後には塾頭を務めるまでに学問を究めました。

武田はその後、江戸に出で佐久間象山から西洋兵学、砲術の教えを受けました。また伊東玄朴の塾において英語やフランス語も学びました。

幕府への出仕

武田は嘉永6年(1853)、浦賀沖にペリーが来航した際には、象山や吉田松陰とともに現地を訪れて『三浦見聞記』を記しています。

武田はその後、箕作阮甫に従って長崎に赴き、ロシアのプチャーチンとの交渉で通訳を務めました。

武田はこれらを通じて象山に推されて幕府へ出仕することとなり、旗本格の幕臣に取り立てられました。

函館での教育

この後 武田は、幕府の命を受けて蝦夷地・樺太への巡察に出ました。

箱館ではアメリカのペリーとの会見もしています。この巡察の最中に箱館に幕府の奉行所が置かれたことで、武田は箱館に常駐することになり、以後11年をその地で過ごしました。

こうして武田は、箱館において弁天台場や五稜郭の設計・建設を担当することになりました。

また、箱館奉行所に附属する学問所「諸術調所」が開設されると、武田は洋学、航海術、測量術、砲術などの教授として近代的な教育に注力しました。

殊に出自に捕われない教育を旨とし、旗本ではなく藩士や町人であっても優れた者には入学を許可し、学力を元にした評価を行いました。

異能の技術者

武田は函館に11年間在住した後、1864年に幕府から開成所教授職並を命じられて江戸へと戻りました。

やがて戊辰戦争が勃発すると、出身の大洲藩が討幕派であったことから命を狙われたため、師であった象山の信州・松藩に一時匿われ、そこでも兵制度の改革などに従事しました。

明治維新の後には、新政府に請われて出仕し、明治8年(1875年)には兵部省にあって陸軍士官学校の開設に尽力しました。

しかしその5年後の明治13年(1880年)、激務から病に倒れ死去しました。

尚、武田の技術者としての非凡な才を物語るものとして、イギリス船で見かけたストーブを模写し、それを元に国産初のストーブを製作したという逸話も伝えられています。

関連記事:
五稜郭の星型の秘密について調べてみた「未完成の北海道最新鋭城郭」

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
アバター

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

コメント

  1. アバター
    • 武田
    • 2020年 8月 06日 3:18am

    私は伊予の大洲の中村地区の武田ですが、武田綾三郎(武田成章)さんと 、つながりがあるのかな⁉️

    2
    0
  2. アバター
    • 匿名
    • 2020年 8月 07日 2:50am

    武田 :
    私は伊予の大洲の中村地区の武田ですが、武田綾三郎(武田成章)さんと 、つながりがあるのかな

    0
    0
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【華厳滝に身を投げた夏目漱石の教え子】 藤村操とは ~遺書「巌頭…
  2. 五代友厚 〜明治維新後の大阪経済会を牽引した薩摩藩士
  3. 沼尻小文吾 「ついカッとなってしまい……介錯に失敗して怨みを買っ…
  4. 阿部正弘【25才で開国に踏み切った若き老中】
  5. 幕末の京都について調べてみた 「歴史の表舞台へ」
  6. 「逃げの小五郎」と呼ばれた桂小五郎は剣豪だった 【坂本龍馬との試…
  7. 禁門の変 ~幕末のターニングポイントとなった京都市街戦
  8. 坂本龍馬の暗殺は、妻おりょうのやらかしによる天罰? ~神器「天逆…


カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

4250年前(青銅器時代)の女性・アヴァ ~その生と死の謎に迫る

約30年前、スコットランド本土北端の人里離れた場所で、約4,250年前の若い女性の遺骨が発見された。…

なぜアニメ映画が大ヒットを連発するのか?

日本のアニメがヒットを連発するようになったのは最近のことです。特に2016年公開の「君の名は…

ビットコインの歴史と採掘(マイニング)

前回の「ビットコインの仕組みを調べてみた【分かりやすい!】」では、ビットコインの仕組みをまとめてみま…

フィラデルフィア・イーグルスの2017年 ③ 「終わらないトキメキの彼方」

前回の続きです。いざ!ミネアポリスへNFCチャンピオンシップでバイキングスに圧勝して第52回…

縄文時代は意外と技術に優れていた「稲作は中国から伝わった」

縄文時代の始まりは土器が登場し、定住生活が本格化した12,000年前からというのが定説である。…

アーカイブ

PAGE TOP