幕末明治

桐野利秋 〜人斬り半次郎の実像

薬丸自顕流の遣い手

桐野利秋

※桐野利秋

桐野利秋(きりのとしあき)は幕末の薩摩藩の武士であり、明治維新後は新政陸軍の少将まで務めた軍人です。

西郷隆盛が征韓論を巡って政府を去ると桐野もこれに従って下野し、後に共に西南戦争を戦って志半ばで倒れるという悲劇的な最期をとげました。

幕末の桐野は中村半次郎と名乗っており、所謂「人斬り半次郎」としてその名を馳せた薬丸流自顕流剣術の遣い手でした。

但し、これは後年の小説による脚色が原因で流布されたものであり、そこまで多くの人を斬ったという事実はなかったというのが実情のようです。

上洛と討幕

桐野利秋

※中村半次郎時代の写真。隣の女性は京都四条「村田煙管店」の娘で桐野の恋人であった村田さと

桐野は天保9年(1838年)に薩摩藩士の父・中村与右衛門(桐野兼秋)の次男として生を受けました。桐野は薩摩隼人として、幼き頃より薬丸自顕流の鍛錬を積んだと伝えられています。

桐野は24歳のときの文久2年(1862年)に薩摩藩主の島津久光に従って上洛すると、尹宮(朝彦親王)附きの護衛役を務めたとされています。

こうした上洛を通じて薩摩藩内だけではなく他国の志士達との知己を得た桐野は、次第に討幕思想を抱くようになっていきました。
同時に薩摩藩内では小松帯刀西郷隆盛などの目に留まり、以後藩内で重用されていくことになりました。

人斬り半次郎の実像

桐野は慶応2年(1866年)には、寺田屋事件の際の負傷で薩摩藩邸に匿われて療養していた坂本龍馬の見舞いに連日訪れたとも伝えられています。

翌慶応3年(1867年)には福岡の大宰府に落ち延びていた三条実美や、木戸孝允中岡慎太郎らとも会合を持つなど藩の垣根を超えた志士としての動きを見せています。

桐野は同年の9月に薩摩藩の軍学者であり、公武合体策を唱えていた佐久間象山の弟子・赤松三郎を京で斬りました。

赤松は幕府の息のかかった人物と見做され、大久保利通の名を受けて桐野が斬ったものと言われています。

人斬り半次郎」と後の小説で描かれた桐野でしたが、定かな犯行はこの1件のみとも伝えられています。

戊辰戦争の逸話

桐野は戊辰戦においては先ず一兵卒として従軍し、そこから武功を重ねると西郷隆盛の下で城下一番隊長に任じられました。また西郷と勝海舟との歴史的な江戸城無血開城の話し合いの場には桐野も同席していたと言われています。

続く会津攻めで会津藩が降伏・開城した際には、桐野はその城の受け取りの使者を務めました。このとき桐野は男泣きに泣いたと伝えられており、その脳裏にはかつて安土桃山時代の薩摩の島津氏が、圧倒的な兵力をほこった豊臣秀吉の軍門に下った歴史があり、その姿と当時の会津藩の姿を重ね合わせたためとも伝えられています。

明治維新と西南戦争

桐野利秋

※官軍と西郷軍の激突を描いた浮世絵。中央付近に桐野利秋の名前

戊辰戦争後に中村半次郎から桐野利秋へと改名した桐野は明治2年(1869年)、陸軍の鹿児島の第一大隊長に起用されました。

桐野はその2年後となる明治4年(1871年)には33歳にして陸軍少将に任じられ、更にその翌年明治5年(1872年)には、皮肉にも西南戦争では自らが攻める側となった鎮西鎮台の司令長官を務めました。

そして明治6年(1873年)10月、西郷が征韓論に敗れて新政府を去ると、これに倣って桐野も職を辞し鹿児島へと戻りました。

そうして遂に運命の明治10年(1877年)となります。薩摩で政府軍の火薬庫の襲撃事件が発生し、同時に新政府が西郷暗殺を目論んでいたことが判明しました。事ここに至り、決起を余儀なくされた桐野らは西郷を擁して兵を挙げました。

しかし新政府軍の前に西郷軍は破れ、西郷は自刃して果て、桐野も銃弾に倒れて40歳の生涯を終えました。

関連記事:
征韓論について調べてみた【西郷隆盛は違った?】
西南戦争最大の激戦・田原坂・吉次峠の戦い

アバター

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

Error: Feed has an error or is not valid



関連記事

  1. 中岡慎太郎・最期まで坂本龍馬と共にあった志士
  2. 大山巌 〜日露戦争で満州軍総司令官を務めた西郷隆盛の従兄弟
  3. 榎本武揚について調べてみた【蝦夷共和国樹立から明治新政府へ】
  4. 幕末の騒乱の舞台となった京都について調べてみた
  5. 阿部正弘【25才で開国に踏み切った若き老中】
  6. 伊藤博文について調べてみた【若き頃は自らもテロリスト】
  7. 「鬼島津」と言われた薩摩藩には強さの秘密があった?!
  8. 五代友厚 〜明治維新後の大阪経済会を牽引した薩摩藩士

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

新着記事

おすすめ記事

榎本武揚について調べてみた【蝦夷共和国樹立から明治新政府へ】

幕臣から新政府へ出仕榎本武揚(えのもとたけあき)は徳川の家臣として戊辰戦争を戦い、幕府海軍の…

聚楽第はなぜ歴史から消えたのか?【8年間だけの幻の城】

関白となり、天下人が目前に迫った豊臣秀吉は、政庁・邸宅・城郭の機能を兼ね備えた聚楽第(じゅらくだい)…

日本の謎の未確認生物【UMA】

未確認生物【UMA】 とはUMAとも表記され生物学的・科学的に確認されておらず、目撃情報や噂など…

アーカイブ

PAGE TOP