安土桃山時代

宇喜多直家について調べてみた【暗殺を得意とした稀代の謀将】

宇喜多直家

※宇喜多直家木像

下の人が上の人を倒す下克上の時代である戦国時代。北条早雲松永久秀斎藤道三など自分の力で国一つを手に入れる大名が続々と現れた。
その中でも城一つ持っているかどうかの状態から数々の謀略を使って最終的には今の岡山県全体を治める大大名となった人がいた。

今回はそんな数々の謀略を使って下克上を成し遂げた宇喜多直家について説明していこうと思う。

宇喜多直家 ってどんな人?

宇喜多 直家(うきた なおいえ)は1529年宇喜多興家の子として備前国(岡山県)に生まれた。

宇喜多家は備前、備中、美作を治める大名である浦上家の家臣だったのだが、直家が4歳の時、祖父の宇喜多能家が島村盛実によって暗殺されてしまい、宇喜多家は一時没落してしまう。直家は父と一緒に放浪の旅を始めるようになり、一時は農民になりかけたこともあった。しかし直家はあきらめなかった。必ずこの手で祖父の無念を晴らすと心に決めた。

そしてチャンスは尚家が元服してすぐやってくる。直家は当時の主君である浦上宗景(うらがみむねかげ)に対し島村盛実に謀反の疑いがあると讒言をいいふらしたのだ。この計画はうまくいき島村盛実は謀反の疑いがあるとして殺された。見事に祖父の無念を晴らしたのである。

直家はこれから先妻の父、敵の大名、娘の父などを暗殺し、いつのまにか浦上家の家臣の中でトップとなっていく。

宇喜多直家の暗殺ライフと御家乗っ取り

宇喜多直家の最大のイメージと言ったら何といっても暗殺である。

直家は祖父の敵である島村盛実を暗殺した後、これに味をしめたのか、妻の父である中山信正に濡れ衣を着せて暗殺、浦上家ライバルである三浦家親を当時のハイテク機器である鉄砲をつかって暗殺。龍口城を攻めた時はイケメン男子を使ってBL展開にさせた上で穝所元常(さいしょもとつね)を暗殺。

さらには娘の夫にも濡れ衣を着せて暗殺し、ショックを受けた娘は自殺するなど自分の為なら家族の親戚を暗殺するなどなんでもあり。そしていつのまにか浦上家の家臣の中でトップとなっていたのである。

さらに直家の野望はとどまることを知らなかった。直家は1569年に浦上家を裏切り、信長と手を結んで浦上家を倒そうと謀反を起こす。
しかしこの計画は事前にばれてしまい失敗。直家は謀反人として処刑さててしまうピンチに追い込まれてしまう。しかし浦上宗景は直家を許し、家臣として再び加えたのである。
宗景は直家の才能がなくなるということを恐れてしまい、謀反の恐れよりも直家を取ってしまったのである。直家からみたら主君は無様すぎると思ったはずだ。
そして結局直家は1574年また浦上家を裏切り、今度は成功。宗景を追放し浦上家を乗っ取った。

しかし、そんな類い稀ない暗殺の才能はやはり信頼関係に大きな悪影響を及ぼしてしまう。

直家は誰からも信頼されなくなっていた。ちなみに直家の弟の日記には『兄は恐ろしい男だった。腹黒く、なにをたくらんでいるかわからないところがあった。それゆえ兄の前に出るときは、かならず衣服の下に鎖帷子をつけたものだ』と書いており、直家に会う時は暗殺されないように甲冑や鎖帷子を着たり、直家が食べたものしか食べない程の疑心暗鬼の状態になっていたそうだ。

しかし直家は敵には容赦なくても、農民になりかけた頃からの家臣はとても大切にしており、その家臣は決して暗殺することはなかった。直家にも人の心はあったようである。

宇喜多直家の最期と秀吉

※豊臣秀吉

下剋上が成功した頃になると宇喜多家は西に毛利家、東に織田家という大大名に挟まれてしまう。

直家はどちらに着くかという重大な決断を下さなければならなくなった。
直家は最初の頃は毛利家に着いていたが、1579年に毛利家が劣勢になっていくと織田に寝返り、配下となった。

しかし、直家は1580年ごろから急激に体調が悪化。尻はすというお尻から血が大量に出てしまうという病気にかかってしまい、危篤状態となってしまった。直家はまだ幼い息子秀家をとある人に託した。その男こそが秀吉である。

秀吉と直家の関係を表すエピソードがある。

秀吉は軍師の黒田官兵衛などの制止を振り切って、丸腰状態で病気で弱っていた直家がいる岡山城を訪問したことがあった。直家は自分のことを恐れず、さらに同じ低い身分から成り上がった秀吉に信頼を寄せるようになっていった。

さらに秀吉は宇喜多家の信頼性がないことを重々承知な上で、主君信長に対して宇喜多家の弁明をすることもあった。

1581年、直家は自分の妻や息子の秀家を秀吉に託して死んでいった。

※直家の最期の地となった岡山城(焼失前)

直家亡き後、岡山城は秀家が引き継ぎ、岡山は日本有数の都市に成長していく。

秀家は元服して秀吉が天下人となった後では五大老の一人として秀吉を支えていくことになり、岡山52万石を治める大大名へと成長していったのだった。

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