古代文明

ナポレオンはエジプト遠征で何を得たのか調べてみた

フランス軍の敗走


※『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』

ナポレオンは、上エジプト(エジプト南部)のマムルーク討伐と同時に、オスマン軍を撃退すべくシリア地方へと北進。

翌1799年にパレスチナに入ってヤッファを占領したが、その先のアッカ(アッコ)の攻略に失敗し、撤退した。なお、ヤッファのフランス軍内ではペストが流行し、ナポレオンは大勢の患者を置き去りにするしかなかった。

しかし、ナポレオン自身、後にその責任を問われることを考えて、当時は触れることすら恐れられていたペスト患者を自らが見舞う絵を描かせている。それが有名な『ヤッファのペスト患者を見舞うナポレオン』である。

その間にヨーロッパの情勢も動き始めていた。

フランス本国でもイギリス、オーストリアがフランスに対して攻撃を再開。ナポレオンは遠征を中断せざるを得なくなり、8月22日、ナポレオンは少数の側近とともにひそかにエジプトを脱出する。残された兵は補給を絶たれ、現地人の抵抗と疫病に悩まされるしかない。

2年間に渡る戦いの末、フランス軍の生き残り1万5000人はイギリス・オスマン帝国に降伏、フランスへと帰国した。

しかし、当時のフランス本国はイギリス、オーストリアだけではなく、国内で続発する反乱、正常に機能しない政府など、混乱が激しかったため、カリスマとしてのナポレオンを一刻も早く呼び戻す必要があった。

そのため、事実上の敗走をしたナポレオンに対し、国民は喜びでこれを迎え入れる。

エジプト遠征で得たもの


※ロゼッタ・ストーン 上から順に、古代エジプトのヒエログリフ、古代エジプトのデモティック(草書体)、ギリシア語を用いて同じ内容の文章が記されている

政治的、軍事的視点から見ればナポレオンのエジプト遠征は、現地人の心を掌握できず、対外的にも戦争を誘発するだけで成果の得られないものだった。しかし、それにはナポレオンの立場では介入できないレベルの、政治上の判断ミスも原因にある。

一方で、学術的には大きな収穫を得られた。
ナポレオンはエジプトへの遠征にあたって167名の科学者や建築技術者からなる学術調査団を同行させた。王家の谷カルナック神殿など多くの貴重な遺跡を始めて学術的に記録したのである。

なかでも、ロゼッタ・ストーンの発見は、もっとも有名な業績として伝えられている。

ロゼッタ・ストーンとは、エジプトのロゼッタで1799年に発見された石版のことで、この発見によりエジプトのヒエログリフを理解する鍵となり、他のエジプト語の文書が続々と翻訳されることとなった。

ロゼッタ・ストーンはより大きな石柱の断片の一つだが、後にロゼッタでおこなわれた調査では残りの部分は見つかっていない。

最後に

エジプトを征服するための軍団に学術調査団を随行させたことが、結果的には人類そのものの財産を発見したことになった。

皮肉にもナポレオンが得たものは「4000年の歴史」の一部だったのである。

軍人としての才能は疑うべくもないが、ナポレオンの教養と知的探究心がなければ、エジプト史の解明は大幅に遅れただろう。

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