施設

カタコンブ・ド・パリ 「パリの地下に広がる死の帝国!」

もし、行く手に「止まれ!ここは死の帝国である」と書かれていたらどうする?

その言葉に恐れをなして戻る人、興味が勝って進む人とそれぞれだろうが、その文字が刻まれた門は実在する。もっとも、実際に刻まれた文字は

「Arrete! C’est ici l’empire de la Mort」

と記されているので、フランス語が読めればの話だが。

その場所こそ、花の都・パリの地下に広がる死者の帝国である。

総延長300kmの採石場

カタコンブ・ド・パリ

パリにはノートルダム寺院サンジャック塔などの石造建築物が多い。

しかし、それらの石は郊外の採石場から運んだものではないことを知っているだろうか?
そうした石はすべてパリの地下から掘り出したものだ。パリの地下20~25m付近は、砂が固まってできた砂岩層が広がっており、主に15世紀まで何世紀にもわたり地下の採石場から石を切り出しては町を発展させてきた。パリの南東にあるバンセンヌの森公園の地下では19世紀まで採石が行われている。

しかし、無計画に掘り進めたため、総延長は300km以上といわれるが、その全容はいまだ掴めていない。

多くが埋め戻されてきたが、それでもそのほとんどが今現在もそのまま残されている。

そのなかでも一際異様な空間が「カタコンブ・ド・パリ」だ。

パリ南部の14区を地下を走るパリ・メトロダンフェール=ロシュロー駅のすぐ近く。130段の階段を下りた先には、採石場跡を利用した全長約1.7kmにもわたる地下納骨堂が広がっていた。

2.600万体の人骨

カタコンブ・ド・パリ
※カタコンブのランプ台

イタリアの「カタコンベ(catacombe)」を知っている人は多いだろう。

死者を葬るための地下墓地のことだが、イタリアでは教会の地下や修道士墓所など、キリスト教ゆかりの建物、土地の地下に造られていることが多い。しかし、カタコンブ・ド・パリは、もともとが墓地として掘られた場所ではないために、長大な地下道を人骨が埋め尽くすという異様な光景を生み出している。

旧市街にある城門、その近くの入り口から地下へ降りると、600万体以上ともいわれる骨が収められているのだ。

「葬られている」のではなく、あくまで「収められている」といったほうが正しい。

大腿骨など、比較的強度のある骨を下に重ね、その隙間に細かい骨を入れることで、壁としての強度を保っており、「骨の壁」の上には頭蓋骨が並ぶ。なかには壁画のように骨を配して天井まで埋め尽くす場所もあるほどだ。

では、ここに積まれた遺骨はどのような経過を経てこの空間にたどり着いたのだろうか?

サン・イノサン墓地


※パリ中心部にあったサン・イノサン墓地

キリスト教がフランスに伝わると、死者の埋葬は教会の地下や、指定された墓所に行うようになった。しかし、人口増加によりパリの市街地には墓地が増えすぎたため、12世紀初頭には拡張が困難な状況となる。
それを改善するためにパリの中心部に「中央集団埋葬墓地」が設けられた。

サン・イノサン墓地」である。

サン・イノサン墓地そのものは5世紀には記録に確認できるが、パリ市内の22区から多くの遺体を受け入れ続けたことにより、ここも17世紀ごろには飽和状態となる。それまでも、戦争や飢饉、疫病などで一度に大量の死者が出たことも原因のひとつであった。

キリスト教では「死者の復活」に意義を見出しているため、絶対ではないものの土葬が一般的である。また、大量の遺体を火葬することのできる施設もないため、パリの地下にはそのまま埋められた遺体がいたるところに眠る結果となった。

カタコンブ・ド・パリ


※骨が積まれた壁

当然ながら、大量の遺体を直接地中に埋葬すれば、環境への悪影響も免れない。

17世紀のサン・イノサン教会の周辺では、まともに生活すらできないほどの環境悪化を招いていた。悪臭、地下水への影響、疫病の発生。さらに墓地に隣接する地下のワインセラーの壁が死体の重みに耐え切れず倒壊するという事態にまで及んだ。

1780年、ついに行政は墓地の撤去と共に、遺骨の移送、そして街の再開発に乗り出すことになった。

1786年から、遺骨を洗浄してカタコンブへ移送する作業が始まる。この作業は1788年まで続けられ、そこからは地下で遺骨を積み重ねる作業へと移行。この過程では、無造作に運ぶだけではなく、部屋ごとにどの墓地から移されてきたのかが分かるように墓地の名が記されることとなった。さらに1810年からの作業では、頭蓋骨と大腿骨を意図的に組み合わせることで壁面などを構成することになり、まさに「霊廟」の如き巨大な地下墓地が完成したのである。

最終的には、サン・イノサン教会周辺だけではなく、パリ中の遺骨がカタコンブに収められることになったのだ。

現在のカタコンブ


※カタコンブを見学する紳士淑女。1860年代。

完成後のカタコンブは、早くも人々の好奇心を刺激した。
1787年には貴族たちが最初の訪問者として、死者の帝国を「見学」し、1806年からは観光ツアーも開始されている。

大腿骨の壁にハート型に頭蓋骨を配置した壁や、骨だけで作り上げた円柱、その他、これらの遺骨が埋められていた墓地や教会から運ばれてきた十字架や装飾品が観るものに暗い美しさを感じさせるほどだ。そのため、オーストリア皇帝フランツ2世ナポレオン3世など歴史に名を残す人々もここを訪れている。

現在もカタコンブは一部が公開されているが、崩落の危険性がある場所など整備がされていない区画には入れない。その公開されている区間が約1.7kmなのだが、カタコンベそのものは複雑に伸び、パリの地下に今も死者の帝国を残している。

最後に

どうも日本人とヨーロッパ人では「」に対する感覚が少し違うようだ。

多くの日本人にとって骨とは「恐怖」「死」「嫌悪」を覚えるのに対し、キリスト教では聖人の遺骨を「聖遺物」、聖なるものとして扱うなど、必ずしも「負」のイメージだけではない。そうした、「骨」に対する意識の違いが「見せるための墓地」、カタコンブを生んだ要因のひとつだろう。

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