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バトル・オブ・ブリテン 【イギリスvsドイツの史上最大の航空戦】

史上最大の航空戦

バトル・オブ・ブリテン 【イギリスvsドイツの史上最大の航空戦】

※英本土への爆撃を行うドイツ空軍の主力爆撃機ハインケル He111

バトル・オブ・ブリテンとは第二次世界大戦下で行われた戦いのひとつで、史上最大の航空戦とも称された戦いです。

これはイギリス本土に対する爆撃を行うドイツ空軍に対し、イギリス空軍がその阻止をした戦いでした。

ダンケルクの戦いの後、ヨーロッパ大陸からイギリス軍を駆逐することに成功したナチス・ドイツではありましたが、依然強力な海軍を保有するイギリスに対し制海権は奪えない状態でした。

このため、航空機を用いてイギリスを屈服させようとして行われた航空戦が、後にバトル・オブ・ブリテンと呼ばれることになった戦いでした。

イギリス本土上陸を企図

バトル・オブ・ブリテンは、1940年7月上旬から同年の10月末までの凡そ4ケ月弱にわたって行われました。

航空機の数においてイギリスを凌駕していたドイツ空軍は、開始当初は有利に戦いを進めました。

ヒトラーのナチス・ドイツの最終的な目標はイギリス本土へのドイツ陸軍の上陸・占領であり、このための前段階としてドイツ空軍による制空権確保を目的として行われた航空戦が、バトル・オブ・ブリテンでした。

イギリス空軍に対し数で優位に立っていたドイツ空軍は、多数の爆撃機や戦闘機を投入してイギリス本土のレーダー基地や空軍基地、工業地帯を狙いイギリスの継戦能力を削ぐための空爆を行いました。

ドイツ空軍の弱点

※ゲーリング

数的優勢を誇ったドイツ空軍ではありましたが、致命的な弱点がありました。

爆撃機の護衛任務を担当した戦闘機の航続距離の短さです。ドーバー海峡を越えてイギリスへと飛来するものの、その上空に留まることが出来たのはほんの短い時間でした。

このため、イギリス空軍はドイツ空軍の攻撃圏外であるイギリスの北部の基地で訓練や編成を行うことが可能でした。また軍需工場の多くも内陸部にあったためドイツ空軍の爆撃機は飛来できても、護衛の戦闘機は随伴でき
ない状態でした。

攻める側のドイツ空軍にとってこうした物理的な制約が重くのしかかったものの、物量と搭乗員の技量とで何とか追い込んでいき、開始から約2ケ月が経過した9月上旬にはもう一息でイギリス空軍を屈服させられるというと
ころまで来ていました。

互いの首都への爆撃

バトル・オブ・ブリテン 【イギリスvsドイツの史上最大の航空戦】

※空襲を受けたロンドン

しかしこの流れに水を差す事態が偶然に発生しました。ある一機のドイツ空軍の爆撃機が夜間の出撃の際に方向を見失ってイギリスの首都ロンドンの郊外を爆撃してしまったのです。

元々はテムズ河畔の港を目標とした爆撃を行う予定だったのですが、予定の飛行ルートを外れてしまいこの誤爆を引き起こしたものでした。

意外に感じられるかもしれませんが、この当時のドイツ空軍はロンドンへの空爆を禁止していました。民間人の人口の多い大都市ロンドンを標的とすると、イギリス側も頑強な抵抗を示すであろうことが予想されたことと、軍事関
連施設を破壊する方が早期にイギリスの抵抗力を奪うと考えられていたからです。

果たしてこの誤爆はドイツ側が想定した通りの反応をイギリス首相チャーチルに決断させました。この報復としてドイツの首都ベルリンをイギリスが爆撃する結果をもたらしたのでした。

ベルリンへの爆撃を被ったことで、ヒトラーはイギリスに対する爆撃をそれまでの軍事目標から、ロンドンへの無差別爆撃へと変更する命令を下しました。

イギリスの守り勝ち

こうしてドイツ空軍が攻撃対象をロンドンへの無差別爆撃に切り替えたことで、それまで風前の灯にまで追い詰められていたイギリス空軍に再起を許すことになりました。

バトル・オブ・ブリテン 【イギリスvsドイツの史上最大の航空戦】

※スピットファイア F Mk.IIA P7895号機 (第72飛行隊所属機、1941年4月撮影)

ここには人的要素としての世界各国からの義勇兵搭乗員の参加や、優れた迎撃戦闘機・スピットファイアドイツよりも格段に優れたレーダーなどの多様な要素も絡みあっていました。

そして以後のナチス・ドイツはソ連への侵攻作戦を優先させることになり、バトル・オブ・ブリテンと呼ばれた史上最大の航空戦は、イギリスの守り勝ちという結果に終わったのでした。

 

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社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
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