混乱の幕末に希望の光と灯した、徳川家茂と皇女和宮の美しくも儚い愛のストーリー。家茂と和宮の人となりを紹介した前編に続き、後編では、公武合体に至った経緯と、結婚後の家茂と和宮について紹介しよう。なぜ「公武合体」が行われたのか?…
幕末に希望を与えた家茂と和宮江戸幕府は、1603年の開府以来約260年間続き、その間に1…
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結束の固い徳川家臣団にあって、外様だった井伊直政が「徳川四天王」とまで呼ばれるまでの身分となった。し…
「球体関節人形」というものをご存知だろうか。その名の通り、関節が球体になっており、自由にポーズをつ…
その国の装飾文化を伝える手法といわれる刺繍や伝統技法には、色彩で表現される美しさや、良縁や健…
日本には江戸時代までに建造され、今も残っている天守が12城存在しています。今回は、その中でも…
今山の戦い鍋島直茂(なべしまなおしげ)は、天文7年(1538年)に肥前(現在の佐賀県)の鍋島…
よく「世が世なら、立身出世して名を残せただろうに……」などと言いますが、自分の不遇(と言うほどではな…
日本を東西に分けた天下分け目の関ヶ原の戦い。序盤は兵数、布陣共に西軍が有利であったが、徳川家…
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