シャワーを浴びながら、「コミット」について考えていました。
幸せなパートナーシップを築くにあたり、大切なのは「自分が相手にコミットすること」「相手からコミットされること」。
コミットとは、「見返りを求めずに自分自身を100%与えること」です。
これがなかなかできないから、好きな人に振り向いてもらえなかったり、つきあったり結婚したりしても、時間の問題で関係がうまくいかなくなったりする。
エディプス状態(三角関係)も、そこに関わるすべての人に、このコミットが足りないために起こります。
コミットは、一瞬一瞬の選択です。
多いのが、つきあい始めたとき、結婚したときに一回コミットして、あとは、なあなあになって関係がこじれてしまうというパターン。
こじれに気づいたときには改めてコミットし直すことが、とても難しくなっている自分をみつけたりします。
日々、一瞬一瞬、相手にコミットすることが必要なのだけれど、これを意識的にやっていたら正直、疲れてしまうというのが本音かもしれません。
疲れてしまうのは、本当の意味で自分自身を100%与えているのではなく、見返りを求めた犠牲で与えたフリをしているからなのでけれどもね。
エゴって巧妙ですね。
100%自分を与えていると「見返りを求めるということ自体が起こらない」のです。
じゃあ、どうしたら「コミット(100%自分を与えること)」できるようになれるのか、コミットされるようになるのでしょう。
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私もコミットが大切なことが頭ではわかっているのに、なかなかできなくて苦しんだことがありました。
そのあと、いまのパートナーに出会い、コミットする・されるの関係になれたのですが、その前に私はなにをしていたのだろう?
(いまでも、パートナーとの関係がおかしくなるときは、コミットが欠けていることに気づかされたりします)
シャワーを浴びながら当時を思い出していたら、こんな声が脳内テロップで流れてきました。
「もともと特別なオンリーワンだけど、もともと特別なNo.1でもありました」
この脳内テロップが流れたとき、世の中の恋愛指南やハートナーシップ指南に、大きな落とし穴があることに気づきました。
SMAPの名曲『世界に一つだけの花』でも、「No.1になろうとしなくていい、あなたはもともと特別なオンリーワンなのだから」と比較を手放すことの大切さが歌われています。
でも、どうして、「パートナーができない」「パートナーシップがうまくいかない」「人間関係がうまくいかない」「仕事がうまくいかない」「人生がうまくいかない」と嘆いている人が減らないのだろう。
SMAPの名曲を誰もが本当に心の底から受け取ることができていれば、世の中はとっくに平和に幸せになっているはずなのに。
どうして、そうはならないのか?
それは「もともと特別なオンリーワン」だったことが思い出される前に、「もともと特別なNo.1だった」こと、「一番になりたくて仕方がなかった願望」を心の奥底に封じ込めてしまっているからではないかと思ったのです。
ここで自分の子ども時代の家族の記憶が思い出されます。
我が家は三人きょうだいで、私は長女、4つ下に弟、7つ下に妹がいます。
私は3歳まで、蝶よ花よのお姫様状態で育てられました。
当時のアルバムを開いてみると、両親からも両家の祖父母からも親戚からも、とても愛されていて、世界中の愛という愛を全身で浴びながら無邪気に笑っている私がたくさんいます。
けれど、4歳くらいから、だんだん笑顔がなくなっていきます。
小学校に上がる頃には、たいていの写真が仏頂面をしています。
弟と妹が生まれたことで両親や周りの人たちの注目が、自分以外の存在に注がれるようになったことがおもしろくなくてすねてしまい、4歳7歳にして、自分自身と人生を投げ出してしまったのです。
このとき、私のなかに「お姫様は、自分は何もしていなくても奴隷に転落して痛い目に遭う」というストーリーが生まれました。
「お姉ちゃんなんだから」という呪いの言葉によって、お姫様が家族の面倒をみる奴隷へと転落したような感覚があったのです。
「もともとNo.1だったのに、No.1じゃなくなってしまった」
このハートブレイクと失敗感や劣等感、無価値感は、つい数年前まで私の恋愛や人間関係に影響を及ぼしていました。
お姫様マインドでありながら、自分を犠牲にして奴隷的な動きをしては不平不満を感じてしまうのです。
この転落のストーリーは、今でもたまに顔を出しては、私が幸せを感じるのを妨げてくることがあります。
これぞ「比較」のなせる技。
比較は、人を幸せから遠ざけます。
だから、「比較は良くない、人と比較するのをやめて、自分自身の存在をありのまま受け入れよう。そうしたら幸せになれますよ」というアドバイスがなされるわけです。
このアドバイスがストレートに響いて、すぐに人との比較をやめることができて幸せを受け取る方向へとシフトチェンジできる人もいますが、なぜかそうはならない人もいます。
「人と比較することをやめてオンリーワンの自分を受け取るようにしているのに、どうも幸せになれない」という状態の人は、もうワンステップ、プロセスが必要なのかもしれません。
比較が幸せを遠ざけるのは正しいけれど、過去に「一番になって有頂天になった体験」「一番になりたいと猛烈に思った欲望」を、自分のなかでないがしろにしてしまってはいないでしょうか。
あるいは、誰かにその鼻をへし折られて傷つき「もうこんな想いはしたくない」と、一番になることを避けるクセがついてしまったのかもしれません。
「一番になって気持ち良かった感覚」や「一番になりたかった欲望」が、社会からのメッセージや人からのアドバイスに押しつぶされ、昇華されていないために、「比較をやめているのに、どうも幸せになれない」ということが起こっているのかもしれません。
「出る杭は打たれる」を地でいったのかもしれません。
一番の体験や欲望を自分で否定してしまったのですね。
この否定を「肯定に変えること」が必要なのです。
「一番になってもいい」「一番になりたいと思ってもいい」。
いまのパートナーと出会う前、長いことエディプスにハマっていた私は、「私のことを一番に想ってくれる人がほしい」と願いました。
「長いこと」というのは、物心ついて恋愛を始めた時からではなく、弟から生まれた4歳の時からということになります。
4歳の頃の原体験によって、私は深い部分で「自分が好きな人は、私だけを見てくれるわけじゃない、そうなっても仕方がない」という観念を作り、信じ込んでしまっていたのです。
カタチやパターンを変えて三角関係をやっていたときは、常に「一番手」「二番手」という観念がありました。
でも、コミットすると「一番手」「二番手」という観念自体がなくなりました。
なににコミットしたかというと「自分の幸せ」と「自分自身」にです。
「自分の幸せと自分自身に、自分自身を100%与える」ということ。
これがおそらく「オンリーワンになる」ということです。
そして、自分にコミットすると、反転して、周りの人たちにも自然とコミットすることになってしまうのです。
私が過去に一番だった体験があったことを思い出して許して、自分の幸せにコミットしたら、私だけを見てくれる、そして自分の幸せにコミットしている人があらわれました。
自分とお互いと周りの人たちの幸せを拡大していくことにコミットしている人でした。
その姿勢は、自然と私を「No.1」にしてくれました。
「No.1にならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」は、まちがいではないけれど、オンリーワンになったら自然とNo.1もついてくる。
「オンリーワン」と「No.1」は、そもそも両立するものなのです。
(歌い手のSMAPがまさにそれを体現していますよね)
すると逆説的に、「No.1」であるかどうかへの、こだわりがなくなってくる。
「No.1になってもいい。どうせ、もともと特別なオンリーワンだから」
好きな人から「コミットされる」ためには、「もともと特別なNo.1だった」ことを思い出し認めて「許す」ことが必要なのかもしれません。
「特別なNo.1になった体験がない、思い出せない」という人は、「特別なNo.1になりたいという欲望が自分のなかにある」ことを認めることが必要でしょう。
ちなみに、「パートナーシップでも仕事でも、ずっと一番を走り続けてきて、そのことに誇りをもっているのに、どうも幸せじゃない」というキャリアウーマンやお姫様は、逆に「No.1の栄光」や「No.1であるプライドやアイデンティティ」を手放す必要があるのかもしれません。
【追記】
そういえば、私も30歳のころ「パートナーシップでも仕事でも、ずっと一番を走り続けてきて、そのことに誇りをもっているのに、どうも幸せじゃない」という状態になったことがありました。
「どうも幸せじゃない」ことに気づいたときカラダも壊していたのですが、それをきっかけに、「No.1の栄光」や「No.1であるプライドやアイデンティティ」を手放すということをしました。
テレビの世界で働いていて現場も華やかで、当時の彼氏ともラブラブでいうことナシだったので、「No.1感」がとても強くありました。
手放したときはじめて、それまで感じていた「No.1感」が、まるでメッキで塗り固められた偽物の彫刻のような感覚がしたのです。
「偽No.1」をずっと握りしめていた自分に愕然としました。
そのとき、自分のなかにあるすべての「No.1」を捨ててしまっていたのです。
3歳までに感じていた「No.1感」「愛され感」も一緒に手放してしまいました。
それから間もなくして、「自分が三角関係にハマりやすいこと」「その原因はどうやら自分のなかにあるらしいこと」に気づいたのです。
それまでは、いろんなパターンの三角関係にハマりながら「なんでいつもこうなっちゃうんだろう…」と、自分の運命を嘆いていただけでした。
自分が三角関係にハマりやすいこと、その原因は自分にありそうだということに気づいてから2年後、「三角関係から具体的に抜ける方法」にビジョン心理学の本を通じて出会いました。
そのとき、まだ抜けてもいないのに「救われた…」「もう大丈夫だ…」という安堵感に包まれたのを覚えています。
まさか抜け道があったとは思いもしなかった。
少し時間はかかったけれど、実際に救われたし大丈夫でした。
三角関係から抜けるメソッドは「私の宝物」になり、三角関係の体験は「私のギフト」となりました。
「3歳までNo.1」 → 「4歳でNo.1から転落」 → 「(偽)No.1で身を固める」 → 「偽のNo.1だったことに気づき、手放す」 → 「裸一貫になる」 → 「No.1になることや競争から逃げる」 → 「三角関係と、そのカラクリが浮き彫りになる」 → 「三角関係から抜ける」 → 「3歳まで体験していたNo.1を取り戻す」 → 「何者でもなくなる(オンリーワンになる)」 → 「自分のNo.1、誰かのNo.1になる(同時に、そのことへのこだわりがなくなっている)」
という流れでしたね。
長かったなぁ♡
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