「父の恋人」でも「父の息子」でも「母の母」でもなく、「親の娘」になって、愛とお金を手に入れる3歳児プロジェクト

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ここ最近、金銭的な余裕があまりありません。
どれくらい余裕がないかというと、昨日の時点で「全財産6万円」くらいの余裕のなさ。

3月末にまとまった金額の収入がある予定なのだけど、それまでの一ヶ月半、6万円での生活です。

都内に打ち合わせやセッションで出ることが多いのですが、今さいたま市の実家に住んでいるので、交通費だけでも毎回、往復1500円。
打ち合わせではランチやディナーをしながらのことが多いので、外食費もかさみます。

ですから、一ヶ月半で6万円は、かなりきびしい…。

そもそも、なぜそんなに金銭的余裕がなくなったのかというと、以前、カラダを壊したうえに、「やりたくないこと、好きではないことをしつづけていたら、働くことができなくなった」からでした。

「生活のために働く」「ただ、お金を稼ぐ」ということが、さっぱりできなくなってしまったのです。

昔はいちおう、バリバリに放送作家やライターや、セラピストをして働いてました。
23歳くらいのときには、一流企業の40代サラリーマンの年収くらいの金額を稼げるようになっていて、移動手段はタクシーのみ、みたいな時代遅れなバブルなことをしてました。

ですが、物質的にも仕事的にもプライベートも充実していたけれど、心の余裕はあまりなかったように思います。

お金はある、生活も豊か、彼氏もいる、友だちもいる、仕事は楽しい、休みもある、だけど、何かがおかしい…。違和感がある…。

そんな状態がしばらくつづき、数年前にあるセッションを受けたとき、突然「私は父に愛されるためにずっと仕事をしてきたんだ……」ということに気づいたのです。
「なに、それ?」 ボカーンとビックリしました。

「父と娘の関係」については、構成執筆協力した二村ヒトシさんのなぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂)の後半、

なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂)

信田さよ子さんと二村さんの対談に出てくる「父の娘」で言及されているように、いろいろと入りくんでいて、複雑です。

私の場合は「父の恋人」「父の息子」になろうとした娘でした。
ダブルスタンダードです。(さらにいうと「母の母」にもなっていたので、トリプルスタンダード)

「父の恋人」は、わかりやすい構図ですね。
幼少期に「お父さんの恋人としての座をめぐって、父の愛をゲットするために母親と競い戦って、勝つか負けるか」して、それがその後の人生のパートナーシップに影響をもたらします。
私は、「勝者」のパターンと「敗者」のパターン、両方をもっていたので、癒すのにとても時間がかかりました。

「お父さんにはお母さんという恋人がいるから、お父さんと私は結婚できないんだ……とハートブレイクして父をあきらめ、自分に合ったパートナーを探すために世界に出ていく」というのがオーソドックスな女の子の成長の仕方でしょう。

けれど、私は物心つく前に「父に恋をしている」ということ自体を、周りにも自分自身にも隠蔽しました。

母に「女として勝ってしまった」ので、その罪悪感からセクシャリティを封印し、「お父さんなんて大嫌い、気持ちわるい!」と遠ざけて、母と仲良くする(フェイク)。

そうすることで「女として自分が母に勝ってしまったという罪悪感や、父とのあいだにセクシャルなエネルギーがあったことを隠蔽する」ということを、無意識にやっていたのです。

そのことに気づいたのは、心理学やスピリチュアルを勉強したり、セッションを受けたりして自分自身の癒しを進めていくうちに、でした。

まさかそんなことを自分に隠蔽していたなんて、ビックリでした。
「女としてのセクシャリティを封印し、父を遠ざけた」幼少期の私が、次にどうしたかというと、
「男になって仕事をがんばり、お金を稼ぐことで、父に認められ、愛される」という選択でした。
どちらにしても、どういう手段を使ってでも父に愛されたかったのですね。(そして、どちらもまちがっていた)

これが私にとっての「父の息子になる」ということでした。

短大入学とともに放送作家になってバカみたいに仕事をして、多くのレギュラー番組をかけもちして、周りの男友だちよりも稼げるようになりました。

でも、それで父に愛されたかということ、愛されなかった。認めてももらえなかった。(認めてくれていたのだろうけど、わかりやすいカタチで褒められたことはありませんでした)

一度だけ、父が会社の人に「ウチの娘が手がけたバラエティ番組がいま放送されていて、スタッフロールに娘の名前が載ってるんですよ」と自慢したということを、誰かから人づてに聞いたことがあったくらいでした。

私はそれでは満足できませんでした。
だから、ますます仕事をがんばってハードワークしていました。
無意識のうちに……。
もちろん「父から愛されたいから仕事をしている自分」にも気づいていませんでした。

あるとき、カラダを壊し、物理的に仕事ができなくなってしまいました。
それまでしていた貯蓄でどうにか生活していたものの、数年後、それも底をつき、とうとう働かないといけない状況に……。

そんなとき、出版社を経営している年上の友人から「事務のバイトをしてみないか」と誘われ、やってみることにしました。
就業時間は月~金の13~18時。
勤務地は自宅から電車で20分、駅から徒歩10分ほどの渋谷の道玄坂でした。
「18時に仕事を終えてからは、事務所でフリーとしての自分の仕事を自由にしてもいい」という、なんともすてきな条件までいただいていました。
「コピー機や備品も自由に使っていいよ」と知人の社長は、とてもよくしてくれました。

けれど、バイトを初めて2ヶ月経った頃から体調がおかしくなってきました。
常に風邪気味で、頭痛や肩こり、めまい、倦怠感におそわれ、最後には痔にまでなってイスに座っていられなくなり、4ヶ月後にはとうとう事務所に通うことができなくなってしまいました。

仕事内容がイヤだったわけではない、人間関係もイヤだったわけではない。

何がダメだったのかというと「毎日、同じ時間に、同じ電車に乗って、同じ場所に通うこと」でした。つまり「定期通勤」です。

私にとって、定期通勤が死ぬほどのストレスだったのです。

そのことに気づいてバイトを辞め、一ヶ月ほど何もせずにプラプラしていると、体調不良はみるみるうちになくなっていきました。

その一ヶ月後に冒頭の、セラピーで「私は父に愛されるためにずっと仕事をしてきたんだ」という気づきに至ったのでした。

「仕事をしているのは、父に愛されるため。でも、現実にはこれまでどんなに仕事をしてきても愛されることはなかった。この方程式は成り立たないんだ。なんて不毛なことをしていたんだろう……。仕事をしても意味がないじゃないか。というか、わざわざ仕事を挟まなくても、ただ娘として父に愛されればいいだけじゃん……」

そのことに気づいたら、本当に「仕事」ができなくなってしまったのです。
「自分が好きなこと、やりたいこと」なら、サクサクと自らやることができる。

その当時は、スピリチュアルカウンセラーの平池来耶さんやAV監督の二村ヒトシさんの著書の構成執筆協力をしていました。

私にとって、それらの作業は「お金や生活のための仕事」ではなく、「この原稿には、今、世の中に必要とされている大切なことが書かれている。そのことが、私にはただわかる。だから、伝えなければならない。私はそのお手伝いがしたい」という動機でしていたことでした。

だから、私の中ではあまり「仕事」という感覚がありませんでした。
「やりたいからやる」、そこに意味はなく、ただそれだけでした。
本が校了すると、またわたしは「仕事をすること」の目的を失いました。

たまにトークイベントやワークショップを開催したり、ご縁のある方のセラピーやカウンセリングをしたり、ライティングの仕事をしたりはしていますが、それらは不定期なもので「定期的に月額で入るレギュラーの仕事」は、ここ数年まったくしていません。

「生活のためのレギュラー仕事に意欲がわかない」というのが正直なところです。

そうしているうちにまたもや貯蓄が底をつき、18歳からしていたひとり暮らしに見切りをつけ、実家に戻ることにしました。
ふと、そのときに気づきました。

「あ、実家に帰ったら、娘として父に愛される機会がたくさん増える! それをやってみよう!」

父に愛されるためにしてしまった幼少期のまちがった選択、「父の恋人」でも「父の息子」でもなく、「父にとってのありのままの娘」として愛される日々を選択し直しました。それは同時に、「母にとってのありのままの娘」として愛されることを選択する、ということでもありました。

「ちゃんと娘をやる」というのは、「子どもに戻る」ということです。

18歳でウチを出て以来、ずっと一人前に自活をしたり、恋人と結婚を目指して同棲したり、なんとなく社会人としてそれらしくやってきたような人間が、38歳になっていきなり「子どもに戻る」というのは、とても勇気のいることでした。

もっというと弟が生まれた4歳のころ、さらに言えば、母の胎内にいたころから「精神的に親を頼る」ということを放棄していましたから、ほとんど記憶もなく、「子どもに戻る」というよりも「38歳で初めて子どもという立場を精神的に体験してみる」という感じです。

そのときの私にとって「子どもになる」というのは、「親からの愛を全面的に受け取って、甘える」という意味でした。(いまとなってはべつに、いくつになってもそれをやればいいんじゃない? と思うのですが…)

「子どもになる」ために、なんとなく「3歳児」を設定しました。

名付けて「3歳児プロジェクト」です。

38歳の女が、いきなり3歳児のように振る舞うのは気持ちわるいし、かなり無理があります。
そもそも、自分自身がそれをできません。

そこで、38歳から年齢を退行していくことにしました。
30歳のころ、25歳のころ、20歳のころ、15歳のころ、10歳のころに親にやってもらいたかったことをやってもらい、受け取る。

親に「3歳児ブロジェクト」のことは伝えていません。
伝えていないから、親の言動もこれまでとほとんど変わりません。
あくまでも自分の中だけでのプロジェクト、チャレンジです。

ただ、両親との日々の暮らしの中で、ふと親がした行動や放った言葉を「あ、これは私が◯歳のときに言ってもらいたかった言葉だ、やってほしかったことだ」と気づいて取り入れ、「受け取って」いくのです。
そして、今までは自分ひとりでできたことを、あえて「これやって?」と親にお願いしたり、甘えてみる。
最初は、ふたがキツくて開かない瓶を父に渡して「お父さん、これあけて?」とお願いするくらいのレベルから始めました。
親が習慣から勝手にやってくれていることに対しては「ありがとう」と感謝してみる。

逆もあります。

親の何気ない言動で傷ついて「ああ、◯歳のときに、似たようなことがあったな、私はあの時に傷ついて悲しかったんだ…」
当時はぼんやり起こった出来事、ぼんやりと傷ついていたことを、自覚的に受け止め、しっかりとその傷や感情を感じるのです。
もちろん、そのプロセスの中で本気で親子ゲンカになったこともありました。
そういう作業をここ一年、毎日意識的にやっていました。

今のところ、12歳くらいまでは退行できて、「愛を受け取り、甘える」ことができるようになってきた気がします。
そうしたら、日々がとてもスムーズで平和、平穏になりました。困っているのは、お金のことくらいです。

お金に関しては、リアルタイムでワークが進行中です。

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法

という本を参考に、お金にまつわる観念や感情を掘りさげて書き換えたり、資本主義のシステムから抜け出す意識状態を作ったりしています。

この本を読んでいると、「お金がある状態」も「お金がない状態」も、自分の意識が創り出していることがわかってきます。

今のところ、私は頭で理解しているものの肚では中途半端な理解のままの状態です。がっつり腑に落ちていないのです。
ですから、「お金がある状態」を創り出すのに、かなりムラがあります。
だから、冒頭に書いたように「やばい、あと一ヶ月半を6万円で過ごさないといけない…」みたいな危機的状況が起こるのです。

そうすることで、実際のところどうなるのか、どのように復活していくのか、実験しているようなところもあると思います。

そして、とうとう明日その6万円がカード決済で引き落とされることに、今日、気づいたのです。

ガーン……。まじか~。
「全財産0円状態を創り出してる私の意識、ドMすぎる…。ていうか、もうウケる!」

でも、不思議なことに、ほとんど心配や不安がわき上がってこないのです。
お金がなくなったら、親から借りればいい。そして、返せばいい。それだけのことだから。

「親からお金を借りたり、もらったりする」ということを、社会人になってから私はずっと避けてきました。
親のことを見切っていたから。
なぜだか、引越のときだけは必要な金額を甘えることができたくらいです(十分か笑)

この一年、「3歳児プロジェクト」をやってきたからこそ、自然と「お金がなくなったら、親に甘えればいいか」と思えるようになったのだと、私は思っています。

その一方で、周りの友だちとワークショップやトークイベントをしたり、セラピーのモニターのお話をいただいたりして自分を癒すことで「自分や未来を信頼すること」ができるようになりました。
「お金がなくなっても絶対に大丈夫、生きていける」という信頼が、深い部分で構築されていきました。

そして実際に「お金がなくても生きていける土壌」が、この一年で自然とできあがっていったのだと思います。

だから、わたしは今、安全に生きていて、電気とエアコンのついたあたたかい部屋で、何のストレスもなくこうしてブログを書くことができている。
ただ、書きたいから、書いている。
未来への不安は、ほとんどありません。

そうしたら、今日、自宅に一通の封書が届きました。
それは、構成執筆協力した本の印税が今日、入金されることを伝える、出版社からの文書でした。
ちょうど二ヶ月くらい、我慢や節約をしなくても生きていけるくらいの金額です。

3月の末には、放送作家時代に携わっていた番組や作品の印税がわりと大きな金額で入ってくることがわかっています。
おそらく数ヶ月くらいは、十分に生きていけるくらいの金額です。

「あはは、ほらね、やっぱり。大丈夫だって言ったじゃん」

私は、自分の中にいる萎縮して不安がっているもうひとりの自分に言い聞かせました。

「自分がみている世界は自分が創りだしている」という法則を心の底から受け入れると、その時に自分が信じている観念や信念がもとになって、本当に「望み通りの世界」が創りだされます。

「望み通り」の「望み」には、ネガティブな観念や感情からくるネガティブな体験も含まれます。

この一年、「3歳児プロジェクト」にチャレンジすることで両親との関係を癒して愛を受け取り、「自分はここに生きていてもいいのだ、何もしなくても生きていけるのだ」という許可と安心、安全を手に入れました。
そして、セラピストやヒーラーの友人や知人との関係から「エネルギーのやりとり」で、「お金がなくても生きていける世界」を創りだしました。

そして、今日、改めて受け取ったのは「過去に、好きでやりたいことをやりたいからやっていた自分に、金銭的に今の自分が助けられている」ということでした。
(もちろん、本を購入してくださった読者のかたや、テレビや作品を観てくださった視聴者のかた、著者や出版社やテレビ局が与えてくださったお金と愛でもあります)
「これは仕事だ」と意識できないくらいに、まだ見ぬ誰かに届けるメッセージを書いていた、過去の日々の楽しくうれしくワクワクしたエネルギーが、結果的にお金となり、「過去の私」から「今の私」へのプレゼントとなっているのです。

実は、このような出来事は今回が初めてではありません。
「やばい、いよいよやばい、まじで、やばい……」というときに、何のまえぶれもなく「ポ~ン」と助けが入ってくるのです。

それはお金に限りません。
ときには人であったり、出来事であったり、物であったり、時間であったり、空間であったりもします。

いつだったが、ツイッターで

「やりたくないことはやらない」を徹底するということは、それまでお互いの自己否定や自分犠牲から築いてきた癒着関係、不健全な関係を断ち切るということだから、好転しないはずはないんだよね。最初は勇気いるしいざこざが起こるしめげそうになるけど、自分の幸せにコミットしてると乗り越えられるよ

とつぶやいたことがあるのですが、本当に「やりたいことはやらない」を徹底すると、このような状態になるということを、自分を実験台にして体験させられています。
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