婚姻届を書きながら、仕事名で旧姓を残して「逃げ道」を作ろうとしていたことに気がついた 〜入籍後の仕事上の名前をどうするか問題〜

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旧姓

昨夜、ふたりで婚姻届を書きました。
ワクワクしながら、でも淡々と。

婚姻届を書くのは初めてのことなので、もっとはしゃいだり嬉しかったりするのかなと思っていたのだけど、

実際は、まちがえないように慎重になりながら、新本籍をどこにするか相談したり(とびっきりの場所を見つけました)、職業欄をどう書くか(今年は国勢調査の年なので)、昨年、父の実家の土地を売りに出したので、そもそも自分の本籍がどうなっているかわからなくなっていたり、健康保険の兼ね合いで世帯主をどうしていたかを忘れていたりと確認事項がいくつか見つかって、だいぶ事務要素感が強かったです。

自分が書くときは事務的要素感が強かったけれど、ダーリンが書いてるのを側で眺めているときには、さすがに嬉しかったですね。

「この人が私のパートナーになる人で、これから一緒に生きていく人なんだ」と、感慨深く愛おしかった。

ちなみに、新しい本名は「新井桜奈」になります。

それでも、妻の欄に自分の名前を書きながら「あと何回この『丸山』という名字を書けるのだろう…」と少しセンチメンタルな気持ちになりました。

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約40年間、自我が芽生える前、生まれたときからすぐ側にあった名字。

新しい名字になるのは、まったくもってやぶさかではないし、「丸山」という名字にさほど思い入れがあるわけでもない。
むしろダーリンの名字である「新井」のほうが野暮ったくなくていい!

それなのに、「丸山」という名字を手放すことにザワザワしたのは、私が生まれて名付けのときに、両親が姓名判断で最強運になる画数にしてくれたからなのです。

しかも下の名前に「子」を名付けられることが多かった当時にしては、私の名前は「桜奈」とめずらしいほうなので(今でも同じ名前の人に出会ったことがありません)、両親は私に幸せになってもらうために、かなり愛情を込めて試行錯誤してくれたのだと思います。
「桜奈」という名前は、わたしに良くも悪くも「この世でたったひとりの特別さ」をわかりやすいカタチで与えてくれました。

実際に40年間生きてきて、自分でも最強に運がいいと思ってます。

生きていくために必要以上の衣食住、金銭的にも物質的にも恵まれ、困ったことはほとんどありません。
ピンチのときには必ず誰かに助けられていたし、友だちや恋人にも恵まれました。
必要なときには、自分を助けてくれる情報も自然と入ってくる。

いまの仕事に就けたのも、たまたま、とんねるずの石橋さんに「桜奈」という名前を気に入ってもらえたことがきっかけで、フリーになって15年経ってもなんだかんだここまで生きてこれているわけです。

振り返ってみるとピンチに陥ったときは、必ずといっていいほど自分の落ち度が原因でした。
たとえば火事だとか事故といった外的要因、つまり他者や環境のせいで窮地に立たされる事態に陥ったことが一度もないのです。

所属している環境がヤバイ状況になる数ヶ月前に、意図せず、べつの理由で自らその場から去るという「炭鉱のカナリア」「船が沈没する前のねずみ」的選択ができてしまう。

これを「最強に運がいい」と言わずして、なんといいましょう。
私は「丸山桜奈」という名前にとてもとても助けられながら、この人生を生きてこられました。

だからこそ、最強運の組み合わせの名前と、そこにエネルギーを注いでくれた両親の愛と時間を手放すのが惜しい…という、執着や愛着があることに気づいたのです。

そしてなにより。
最近の私の悩みは「入籍後の仕事上の名前をどうするか問題」です。

ペンネームを作るのは、私にはとても抵抗と違和感があるのです。
なるべく自分の中身を分離させたくありません。
使い分けが便利な利点もあるのだろうけど、私はプライベートも仕事も人生も、全魂をかけて、まるっと統合された私自身で臨みたいのです。

ペンネームを作ると本名とのあいだで、光と闇のエネルギーの分離が起き、仕事がうまくいけばプライベートで、プライベートがうまくいけば仕事で、光と闇が表面化してバランスが取りずらくなる、とミディアムの友人に聞いたことがありました。

うまく使い分けてバランスが取れている人もたくさんいるけれど、私はそこまで器用ではありません。
プライベート用の名前とペンネーム用の名前、ふたつの名前を持つとバランスが取れなくなる予感があるのです。
(ここにも三角関係が隠れてますね…)

だから今の私としては、できたらすべてにおいて名前を統一したい。

けれど、仕事上の名前を丸山桜奈から新井桜奈に改名するのには抵抗がある。

40年分の丸山桜奈としてのプライベートは簡単に手放せるのに、20年分の仕事上の丸山桜奈は手放せない。
プライベート上の本名を改名するほうが、運勢的にもよほどいろいろと余波や影響があるはずなのに、それはラクラク乗り越えられると思っている。
なぜなら、本当の本当は「丸山桜奈」という名前はただの記号でしかないからです。

それなのに「仕事上の名前の改名への、この違和感や不安感はなんなんだろう、どこからくるのだろう」と考えました。

思い当たることが、ふたつありました。

ひとつは、過去20年分の仕事の実績が消えてしまうような気がして怖いということ。
「過去の栄光が手放せない」ということです。
これは「過去の実績以上の成果をこれからの自分は上げられないのではないか」という思い込みが作っています。

はっきり言って、ださい! せこい! みみっちい!
偽りの男性性の極みです。
そして、自分のことをとてもとても、みくびっている…。

もうひとつは、これがおそろしい盲点だったのだけど「新井桜奈」として仕事のリスタートをしたときに…

数年後や数十年後、もしも万が一、離婚するようなことになったとしたら、みっともない、恥ずかしい、そして旧姓に戻すのはめんどくさい、かといって本名のままでは、これまたおそらく自分のバランスが崩れてしまう。
そういう思いがあったのです。

自分で書いていて、なんて細かくて神経質で自意識過剰なんだろうと思いますね。

最近は、結婚という制度を利用せずに事実婚状態でパートナーシップを組んでいるカップルはたくさんいるし、離婚率がこれだけ多い世の中。
離婚したとしても旧姓に戻そうが本名のまま活動してようが、たいして世間や周りは気にしていないし、仕事自体に支障をきたすことも少ないことでしょう。

それなのに、どうして私はこんなに仕事上での名字にこだわっているのだろう。

それは前述したように「離婚する可能性があることを無意識に想定しているから」です。
ここに私のモヤモヤした違和感の原因があったのです。
自分に対するコミットのなさへの怒りでした。
小さな小さな違和感は、大きな大きな自分に対するごまかしや裏切りのサインといえるでしょう。

結婚したら、そりゃいろいろことあるでしょう。
ケンカをすることもあるだろうし、お互いに顔も見たくないという状況もくるかもしれない。
それが積み重なって、いよいよ離婚ということもあるかもしれない。

ふたりで仲良く婚姻届を書きながら
「どうせなら離婚届も先に書いておいて、証人さんについでに判を押しておいてもらおうか(笑)」なんて冗談を言いあっていたのですが、

このあたり、お互い自由と真理を愛し追及する性分の射手座らしいなと思いつつ、無意識レベルでは笑えない落とし穴、盲点です。

離婚することはもちろん悪いことではありません。
お互いの行く道がちがったら、その選択肢をとるほうがお互いの幸せのためでもあります。

でも、婚姻届を書いているそばから「離婚する可能性もあるし、何が起こるかわからない。そうなったらいろいろ手続きや仕事の取引先への連絡もたいへんだし、恥ずかしいし…」なんて考えて、仕事上の名前を旧姓である丸山桜奈でやっていこうという消極的選択をすること自体が、私にとってはナンセンスだと感じたのです。

なにより私と一緒にやっていこうと決意してくれたダーリンに対して、そして私自身に対しても誠実さに欠ける姿勢だなと思ったのです。

「いろんな手続きがめんどうだし、いつかどこかで離婚する可能性があるのなら、仕事上の名前は旧姓でいこう」

私にとってこの選択は、人生においてパートナーシップにおいて、ダーリンに対して自分に対して、何かがうまくいかなくなったときの「逃げ道」「エネルギーの隙」「誘惑」を作る言い訳になるなと気づいたのです。

人がひとり生きていくには、たくさんの依存先があったほうが安全だし、生きていきやすいのはまちがいありません。
でも、自分自身が確立されていないなかで依存先を増やすというのは、幸せにならない言い訳と逃げ道を作ることにほかなりません。
というか、「自分が幸せになることにコミットできていない証」と言ってもいいかもしれません。

そして、脳内のどこかでそのような(離婚するかもしれないという)想定をしていたら、それはいずれ具現化します。

ふと周りを見渡してみると…
結婚という制度に乗っかって、パートナーシップも仕事も、上昇循環スパイラルに乗って、お互いに成功しているご夫婦たちを観察していると、女性であれ男性であれ、新しく選択した名字で統一して生活も仕事も社会活動もしている人が多いのですよね。

世の中では、夫婦別姓導入への風潮や流れが強くなっています。
私は夫婦別姓を否定しないし、正直どちらでもいいと思ってますが、
こと自分自身の人生やパートナーシップ、仕事上での循環や流れについて考えてみると、プライベートも仕事も社会活動も、新しい名前でやっていくほうが、精神衛生上クリーンだし、あらゆることに対するコミットも深まるだろうなと感じたのです。

何より私には「退路を断つ」ことが、幸せな人生を送る要素や秘訣として必要です。

というわけで、入籍したら仕事上の名前も、新しい名字と名前である「新井桜奈」でやっていこうかと検討しています。

最終判断は、姓名判断をしてみてからになりますが…… ←まだエゴがねばってる

あるいは、思い切って姓を外して「桜奈」だけにするとかね……← ここにきて、ちゃぶ台返し

これから新たな人生を歩むにあたり、自分のなかに怖じ気づいている部分があるということ。
入籍前に無意識のエゴの罠に気づいて良かったです。

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