記憶すら執着になりますので、人生への執着も手放しましたところ…

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この記事で書いた、

「記憶すら執着になります」

書きながら思い出したのだけど、

チャック博士の来日セミナーで、目の前の人と繋がって自分が持っているさまざまな執着を手放し、どんどん繋がって一緒に天国に入る、という「ジョイニング」というワークをしました。

最初のうちは、過去の出来事に対するイヤな感情や過去の記憶や自己概念をどんどん手放していきました。

そして残ったのは「自分」だったので、それも手放しました。

すると、「相手と自分は同じで、お互いに本質しか残っていない」という感じがしました。

境界がない感じです。

そのまま相手とどんどん繋がり続けてゆくと、とても穏やかで天国にいるような感覚がしてきました。

でも、「天国にいる」という感覚すら邪魔だなと思って、それも手放しました。

すると、何かにものすごく執着しているのを感じました。

「なんだろう、何に執着しているのだろう?」と観察していくと、「人生」に執着していることに気づきます。

「このエネルギーはかなり大きい!」と感じながら、人生への執着も手放しました。

すると、本質と感じていたものすらなくなって、そこらかしこに肉体の物体がたくさんあるのを感じるだけでした。

「ぜんぜん人が誰もいないー!」と何かが気づいて喜んでいる感覚があり、さらにそれを手放そうとしたらワークの時間切れになってしまいました。

執着

その感覚すら手放したらどうなっていたのか興味があるところですが、今はそれはあまり必要がないことだったのかもしれません。

それから数時間後に「自分」が戻ってきました。

ガッカリのようなホッとするような、複雑な感覚がありましたが、ワーク前までの自分とはあきらかに変わった「新しい私」がいました。

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