「分離のない世界」にいるダーリンとちぇりに憧れる「私」

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最近、告知ばかりで自分が考えてることやプロセスを、ブログで書いてないな〜。

と思ってました。

何かが起こって何かに気づいたりシフトしたりして、書こうと思ってもその前に、そのテーマが自分のなかで終わっていて、次の「今」に生きているので書けないのですよね。

思い出すことすら、めんどうくさい。

昨日なんか『24シーズン4』を観ていて(しかも2回目)、ジャックがなんのために敵のアジトに突入してるのかわからなくなってビックリしました。
3分前に突入計画が練られるシーンがあったはずなのに、全然わからない。

これはいよいよかもしれんね、いい意味で。
エネルギーの加速がはやすぎて時間の概念がどんどん自分のなかから消えているのです。
時間の観念がなくなった先に、どんなことが起こるのか今から楽しみです。

プロセスを書く気が起きないので、いま起こった出来事をそのまま書きましょう、と思いました。

いま、ベッドで寝ているのですけどね、隣で爆睡しているダーリンがとつぜん、私の太ももをひっ掻きだしました。

撫でるでもなく、くすぐるでもなく、ひっ掻く。

どうしたどうした、なんだなんだ。

なにごとかと戸惑っていたら、ダーリンはひっ掻いていた私の太ももからおもむろに手を離し、自分の太ももを掻きだしました。

なるほど!
自分の太ももがかゆくなったので、爆睡しながらも無意識に掻いたのでしょう。

おそらく、私の太ももをひっ掻いたのは、自分の太ももと私の太ももの区別がつかなくなっていたからじゃないかと思います。

爆睡している彼はいまきっと、無意識のなかで分離のない世界にいる。
分離がないから、自分の太ももと私の太ももの境がなくなったんじゃないかなと、私の憶測だけれど思いました。

そう思ったら、分離のない無意識の世界にいる彼のことが、とてもうらやましくなりました。

彼は定期的に「睡眠中の夢の世界」で不思議な体験をたくさんしています。
彼の不思議な夢の話を聞くたびに、私は「本当は分離がないこと」「自分という意識は幻想であること」を教えられています。

その体験の数々をはやく漫画に描いてほしいくらいです。

そういえば愛犬のちぇりも、自分の前脚をぺろぺろなめながら、少しだけちぇりに触れていて延長線上にある私の手や脚をなめたり、その延長線上にあるダーリンの手脚をなめたりといったことを、よくします。

ちぇりも分離のない世界にいるのだなあと、よく気づかされます。

私は『私』を強く意識する分離の世界にいるとき、分離のない世界にあこがれて、その世界に行こう行こうと努力することがあります。

だけど、分離のない世界に行こうとすればするほど、分離感は強くなっていきます。

分離のない世界に行こうとするということは、前提として「分離のある世界にいること」が必要だからです。

分離のない世界に行こうと努力すればするほど、分離のある世界を強化するというパラドックス。

あ〜しんどい。
しんどいので、今、起こったことを書くことにしました。
書いているあいだは、書くことに集中しているので、「私」は分離を感じません。
ラクになる。

深夜の「今」の出来事。
おもしろかった。

私もこれから眠って、分離のない世界に突入です。
わくわくします。
私は眠る前は、いつもわくわくします。

だけど、眠ったとき「私」は私として私を認識できないので、「『私』が分離のない世界を認識、体験することはできない」のです。

残念です ( ̄▽ ̄)
おやすみなさい ( ̄▽ ̄)