自由になるために私がしたこと

シェアする

最近、ダーリンと知り合って以来、初の罵詈雑言&暴言(このふたつってどう違うんだろう……)の大ゲンカをいたしました。

 
知り合って10ヶ月、新婚4ヶ月の我々。

お互いにアラフォーという年齢のせいでしょうか。

新婚4ヶ月にしては、とても落ち着いた毎日を送っていて「まるで老夫婦みたいだよね〜」とお互いに笑いあうくらいの穏やかさ。

もう5年以上一緒にいるかのような不思議な感覚に、よく陥るのです。

 
50日に一回くらいの間隔で、私が不機嫌になったり、すれ違いがあって小さなケンカが勃発し、その都度、冷静に話し合っては繋がって理解し合い、ちがいを認め合い、仲直りを繰り返しながらパートナーシップを深めてきました。
 

今回の大ゲンカ、火種はじつは3月中旬からはじまっていて、表面的には何も起こっていないけれど、なんとなくお互いの間に距離があるような、よそよそしいような、近づき難いような妙な雰囲気が続いていたのです。

3月中旬から私が半月ほど体調が芳しくなく、ずっと床に臥せていたので、そのあたりからすれ違いが起こったのかもしれません。

 
大ゲンカの前日、寝る直前にベッドで私が、そこに漂っていた空気を壊しました。

「精神的に離れた関係を修復しよう」とか「彼に不満があるからそれを伝えよう」とかいう意図はまったくなく、気づいたら突然「ねぇ、なんかうちら最近、おかしいよね?」と口にしていたのです。

 
口にした自分が驚きました。

 
自分じゃない何かに言わされたような感覚で、自分がそれについていっているような感じなのです。
 

言葉になってしまった以上は仕方がない。

流れで会話が始まりました。
 

うちのダーリンのすばらしいところは、翌日の朝いつも通りの早起きでも、私が何か大事な話を振ると「その話、明日にしてくれる?」とか遮って逃げたり翌日に持ち越さないで、その場で話をして何かしら落としどころを見つけて繋がろうとするところです。

 
 

話し合いや問題表出から逃げない、避けない、向き合う姿勢。

 
この部分、私はとても大好きだし尊敬しています。

 
男性は話し合いや、もめ事から無意識に逃げ出す傾向があるように感じているので、彼のこの性質や姿勢はとてもありがたい。

 
スポンサーリンク

 

話をしているうちに、以前ケンカをしたときに原因になった火種がまだくすぶっていたことがわかりました。

 
私が、日々わりと「のんびりぐーたらと過ごしている」こと、いわゆる「フツーに働いていない」ことに、彼は不満を感じていたのだけど、しばらく私の体調が良くなかったので、言いたいことを我慢して自分のなかで昇華しようと努力していたということでした。

 
そうだったんだね……。

 
彼が不満や文句、言いたいことを吐き出してくれて、私はホッとしました。

 
彼が何か言いたいことを我慢していることを、私は十分に知っていたからです。

エネルギーに敏感なので、相手がどんな感情を抱えて抑えているか、本当はどんなことに怒っているのか言いたいのか、なんとなくわかるのです。

 
だけど、わざわざその中身を掘り起こして突進していくことはしません。

 
今回はとくに私も調子が悪かったので、彼が我慢しているからといって、それを慮って何かをどうにかしようとする気力がわいてきませんでした。

 
私が復活したから、自然とそこに切り込む準備ができたのかもしれません。

 
彼の不満や文句を聞いて、お互いに冷静に話し合ったあと、夜中にようやく眠りにつきました。

 
 

そして目覚めた翌朝……。
なんだか、お腹のあたりがめちゃくちゃ熱い。猛烈に熱い。
ハラワタが煮えくり返っている。

 
怒ってます! 私、とっても怒ってます!

 
昨夜の彼の吐き出しを聞いて「そうかそうか、あなたはそういう不満を持っていたのね」と、微妙におかしかった空気の原因が明確になって安心したのと同時に、
 

「そうは言ってもさ! 私だって、いろいろ我慢してるし、言わないで処理している細かいことが、たくさんあるのよっ!!」という怒りがあとから沸々と沸き上がってきたのです。

 
その日は一日中、肚のあたりにマグマを抱えて、不機嫌に過ごしました。

 
自分でもどうにもならない怒り。 
何に怒っているのかすらわからないくらいの熱いエネルギー。

 
夜、彼が仕事から帰ってきても、私は彼を無視しつづけて仕事をし、夕飯もひとりで簡単な出来合わせを用意してひとりで食べました。

 
「意地悪だな〜、悪い態度やってんな〜、私……」とわかっていながらも、どうにも怒りを抑えきれないのです。

 
「これは感じ切ってしまうしかないな……」

 
怒りながらも歯を磨いて顔を洗いながら冷静にそう決めた矢先、彼が仕事部屋の電気を消さずに寝室に入っていきました。

 
キッチンを見ると、彼が夕飯を自分で作ったときに出た生ゴミの袋がシンクに口を開けたまま放置されていました。

 
プチッ………。
 

頭のなかで小さな音がして、私は寝室に行き、小さな声で淡々と言いました。
 

「自分で点けた電気くらい、自分で消してくれる? あと、キッチンの生ゴミ、臭くなるから自分で捨ててくれる?」

 

「はぁ?」
 

彼が怒りを露にしました。
 

「お前、いい加減にしろよ? なんなの? ケンカすんの?」
(おそらく、私が一日中、不機嫌で彼を無視しつづけたこと、いつもは一緒にしている行動をすべてひとりでやっていたことに対して)

 

彼が私のことを「お前」と呼んだのは、知り合って以来、初めてのこと。

 
化粧水で肌をパッティングしながら「あー……やっちまったー」と思いつつ、私も止まらなくなりました。

 
それまでに溜まっていた鬱憤が暴言とともに次々と吐き出され、ものすごい勢いとパワーで彼を攻撃し始めました。

 
いつもは温厚で冷静に話し合いをする彼も、それまでに聞いたことのない暴言を吐き、私を攻撃しました。

 
ここまで大きなふたりの声を聞いたことのなかった愛犬のちぇりは、私たちの暴言の応戦に呼応するかのように「ワンワンワンワン!」と吠え出しました。
 

ちぇりもまた、彼と同じように普段はほとんど吠えることのない、おとなしいチワワです。
 

ちぇりの吠える声を制止する余裕もなく、私の口からは次から次へと彼への不満と文句が暴言となってあふれ出てくる。

 
よくもまぁ、こんなにたくさん、そしてすさまじい罵詈雑言が出てくるもんだと自分でも感心したほどです。

 
そして、このやりとりにどこか既視感が。

 
それは、オリジナル家族内で誰かと誰かがぶつかったときに起こる現象でした。
 

怒り狂い暴言を吐きながら、「これ家族とよくやってたやつだわ〜」と、その様子を冷静に観察する自分がいました。

 
家族のパターンが、彼との関係に顕われはじめたのです。

 
大ケンカの最中、私はずっと「これ以上、私を責めないで! 言葉には出してなくてもエネルギーでずっと責めてるの!」と繰り返し、彼は「いい加減に動け、働け!」という言葉を繰り返していました。

 

私の生活は、ここ数年、ほんとうにのんびりしています。

 
10代後半から30代まで、悪い意味で自立してひとりの力で生きてきて燃え尽きたので、そこからちがう動機とやり方で生きてみようと自分を変えてみたのでした。

 

物理的にも精神的にも、ひとりの「自分の力」だけで生きていくのには、どうしても限界がある。
 

なにより好きでもないこと、やりたくないことをやっていると、自分自身が疲弊して結局、時間の問題で動けなくなってしまう。

 

日々を余裕をもってのんびり過ごしていると、インスピレーションもよく受け取れるし、それをもとに自然と必要なときに必要なだけ動けて、それが自分にとっても周りにとっても効果的なことがわかったので、あえてそうしている部分があったのです。

 
そのあたりで、私と彼の考え方や動機のちがいや、すれ違いがあったのでした。
コミュニケーション不足でもあったかもしれません。

 
彼からみると私は、ニートや引きこもりのように何もせず、依存的になっているように見えていたようでした。

 
客観的にみると、そうかもしれない、と思いました。

 
昼までのんびり寝ているし、やりたいときに好きなときにしか家事も仕事もやらない。
意欲がわいたときには、徹底的に長時間、いくらでもやれてしまうけれど、ベースはのんびりゆったりな日々。

 
いまの私にとってはそのサイクルがとても心地よく、そして義務感も犠牲感もないので、ストレスも溜まらず物事がスムーズに運ぶ。

 
しかし、彼は、そんな私の態度や姿勢に「何もしていない」と感じ、私を背負っているような感覚を持っていたようでした。

 
けれど、私は「真実ではないことを何もしないからこそ、本当にやるべきいろいろなことをすることができる」と思っていたのでした。

 
「何もしない」という同じ言葉に、お互いに違う意味を与えていたようです。
 

日々をのんびり過ごす私を、彼は非難し「動け! 働け!」と責めてきました。
 

ケンカをしながら、私はずっと「責めるな、責められるとやる気なくして、ますます動けなくなるんだよ!」と言い続けていました。

 
同じ言葉を繰り返しながら、私は自分に違和感をもっていました。

反撃の言葉なら、もっといろんなバリエーションがあったはずです。

 
「私は何もしたくないの!」でもいいし、「動きたくない!」「働きたくない!」でもいい。
「あんたなんか大嫌い!」でもいい。

 
それなのに、私の口からついて出てくる言葉は、ひたすら「これ以上、責めるな!」でした。
 

「動きたくない」とも「働きたくない」とも私は思っていない、ただ「責められたくない」とは思っている。

 
深夜の大ゲンカはなかなか収束しそうになく、お互い次第に無言になり、眠ることにしました。
 

同じベッドに寝ているだけでも嫌気が差してくる。
 
「一緒にいたくないから、ソファに移動して寝ようかな」
 

「でも、まだ少し寒いから風邪ひくわよ。こんなヤツのために風邪ひくなんて悔しいじゃない、だったらこのままベッドで暖かく寝ていよう」
 

彼の寝相が悪くなって私のほうに寄ってくると「触らないで! こっちに来ないでくれる?」と思いながら、のカラダ壁側に押しのける

 
「あーほんと、ハラがたつ!」
 

「なんなら別れてやろうかしら!」

 
「どうせ別れるなら、浮気でもしてもらって慰謝料ふんだくって別れたほうがいいかもね!」

 
「どうやって浮気させようかな、とりあえずセックスおあずけにし続けて、無視し続ければいっか!」

 
「あー、新婚4ヶ月で別れるとか、かっこわるいなぁ」

 
「でももうイヤだ! こんなに人のことをずっと責めてくる人となんか、一緒にいられない!」 

 
自分の頭のなかのおしゃべりの声の数々を観察していると、だんだん、おもしろくなってきました。
 

悪い意味でのエゴというのは、こうやって大切な人と離れるための戦略を仕掛けてくるのです。

 
これ、じつはけっこう、多くの人が無意識下でやっている会話だったりします。
 

自分でも気づかないうちに、それが現実化して、現実化したときには、自分の頭のなかで行なわれた、相手と離れるための戦略会議はすっかり存在しないことになっていて、「相手のほうから離れていった」「相手が私に迷惑をかけた」という出来事にすり替わり、自分は被害者のポジションの出来上がり。

 
見事、相手を犯人に仕立てあげて、狙いどおり自分は悪者にならずに離れることができるわけです。

 
私もいまの彼と結婚する前までの恋愛やパートナーシップでは、この無意識のさまざまなパターンの脳内戦略会議の陰謀にまんまとハマって、何度も後味のわるい別離を繰り返していました。

 
彼の悪口を好き勝手に言い続けるというひどい脳内おゃべりをしているうちに、スーッとお腹のあたりの熱がさめていくのが分かりました。

 
やっと怒りがおさまってくれたのでした。

 
すると、こんな問いが自然と出てきました。

 
「私が彼に放った言葉は、私に何を伝えてくれているのだろう?
 彼への言葉が自分に対する言葉だとしたら……?」

 
「彼が私に」放った言葉ではなく、「自分が彼に」放った言葉たちに意識を向けてみたのです。

(もちろん彼が私に放った言葉も大切なのだけど)
 
私が彼に放った究極の言葉は、これでした。

 
「人のことを責めれば責めるほど、人はダメになっていくんだよ! そうやって一生、人を責め続けて、人のことをどんどんダメにさせていけばいいじゃない!!」

 
ああ、そうか。
 

私は自分を責め続けていたんだ。

責め続けて、どんどん自分をダメにするところだったんだ。

私はまだまだ「動かない自分」に罪悪感をもって責めていたのです。

 
前に比べたら、だいぶよく動けるようになっているのに、その部分を自分で認めて褒めてあげていないから、彼を使って自分を攻撃していたのだと、腑に落ちました。
 

彼から私が「動いていない」ようにみえたのは、私が私に対して「動いていない」と思っている部分が、まだまだあったということを伝えていたのでした。
 

彼は、そのことを私に教えてくれていたのです。

心の底から感謝の気持ちがわいてきました。

 
普段はとてもおだやかでやさしい彼が、私が自分を責めていることに気づかせるために、罵詈雑言を使ってわざわざ責めてくれていたのです。(もちろん無意識に)

 
それにしても、どうしてここまでして私は自分を責めているのだろう?

 
私は本当はどうしたいのだろう?

 
自分の胸の内に聞いてみると

 
「もっと自由になりたい!」

という言葉が出てきました。
 

その瞬間に「え? まだ自由になり足りないの? 今でも十分、自由なのに?」と苦笑いしている、もうひとりの自分がいました。

 
「そう、まだまだ全然、自由じゃない。自由なフリをしてるだけだよね」
 

それが私の本音でした。
 

もう自分を責めるのは、やめよう。
罪悪感を手放して、もっともっと、徹底的に自由になろう。

動いてもよし、動かなくてもよし。
すべてのことを心の底から自分に許可しよう。

 
そう思った矢先に、不安があがってきました。

 
ただでさえ自由気ままな私がこれ以上、さらに自由になってしまったら、彼はさらに怒るかもしれない。
 
また責められるかもしれない。
 

彼のほうから別れるとか言いだすかもしれない。
 
それでも、また彼から責められたとしても、それはやはり私が私に向けた言葉です。
私が自分を責めなければ、彼は私を責めないはずなのです。
 

負けずに、自由になろう。
 

そう決意すると、とても清々しい気持ちになって、ここ二日、怒り狂っていたのがウソのように、ご機嫌になりました。

 
自由な感覚とパワーが自分の内側にみるみる戻ってくるのを感じました。
 

「こんなに人のことをずっと責めてくる人となんか、一緒にいられない!」と私が思っていたのは、彼に対してではなく、じつは

 
「こんなに自分のことをずっと責めてくる自分となんか、一緒にいられない!」という意味だったのです。

 
おかげで、ねちねち「責める自分」とキレイさっぱりお別れすることができました。
 

そして、彼が仕事から帰ってきました。
いつもよりも40分ほど遅い帰宅でした。

 
あとから聞くと、私がまだ怒っているかもしれないし、どうやら今回のケンカは長期戦になりそうなので、公園で一服して缶コーヒーを飲みながら、どうしたもんかといろいろと考えて時間を潰していたとのこと。

 
なるほど、妻が不機嫌だったり罪悪感や被害者意識を持っていたり、自分に制限をかけて自分自身でいることができないと、夫はこうして外で時間を潰したり、飲みに行ったり、残業をしたり、浮気をしたりして、物理的にも精神的にも家庭や妻からどんどん離れていくのか……。
 

夫婦の距離が広がっていくカラクリがみえたようで、感心しました。
 

「攻撃して、ごめんね」と昨夜のことを謝ると、

 
彼は「もう全然、責めてないし、もう責めないから。本当に昇華できたから大丈夫。自由にしてていいですよ。いくらでも寝てていいですから。どうぞどうぞソファで寝ててください」
 

と、なぜか敬語でリビングのソファに私を誘導しだしました。

 
最初はその敬語が嫌味や冗談でそう言っているのかと疑ったのだけれど、そうではなく、彼は本気でそう思っているようでした。

 
私が自分自身にさらに自由になる許可を出したら、彼が私に自由になる許可を出してくれたのです。

 
意識は、本当に繋がっているのだと実感しました。

自分が変われば、相手も同時に変わるのです。

 
そして、勇気を出して言ってみました。

 
「私、いまよりももっと自由になるから」

 
「どうぞどうぞ、どんどん自由になってください!」

 
「自分が相手に放った言葉は、本当に自分から自分へのメッセージなのだなぁ」
 

と改めて思いながら、ふたりで仲良くスーパーに夕飯の買い出しに行ったのでした。

 
自由
 
 

そして、いつもは夕飯をふたりで一緒に作るのだけれど、原稿の締切が迫っている彼のためにひとりでキッチンに立って夕飯を作っている私がいました。

 
自由になることを自分に許可すると、本当に人はダメになるのではなくて、するべきことをするべきときに自然とやれるようになれるのです。
 

自由になるために私がしたこと。

 
彼という存在に手伝ってもらっての自己攻撃からの反転。

 
自由になるために、わざわざ自分のことも相手のこともいじめたり攻撃したりする必要はないはずなのに、私はたまにこれをしてしまいます。

 
「ただ、そのときに、自分の選択で自由になればいい」のですのにね……。
 

でも、それだけ「自由になる」ってむずかしいことなのだなぁとも思ったのでした。
 

ちなみに、4月上旬に、お互いのあいだに流れる雰囲気がおかしいと感じていたときに、友人にカードを引いてもらったのだけど、そのときの結果がコチラ。
 

FullSizeRender (41)
 

問題の原因「ジャッジメント(裁き)」

抜け道、ヒーリング方法「コミュニケーション」

抜け道を実践した結果、未来に顕われるギフト「真実の愛」

 

そのまんますぎて、今となっては笑えます。
 

とくに「ジャッジメント(裁き)」の、自分が鏡(にうつる自分)に向かって指を差して批判しているところなんて、今回の私そのもの。

 
というか、世の中に蔓延しているジャッジメントは、結局のところすべて自分自身を裁いているということなのですよね……。

 
このカード、とてもよく当たるのです。
セルフ・セラピー・カード
 
ビジョン心理学 チャック・スペザーノ博士 セルフ・セラピー・カード
 

解説書が入っているので初心者にもわかりやすく、パートナーとの関係に行き詰まっている人、パートナーがなかなかできない人、その他にも親子関係などの人間関係や仕事、お金まわりがうまくいかない、なんだか苦しいのだけれど原因がわからない、という人にオススメです。

 
スポンサーリンク