人が本当に怖れているのは、幸せになること

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幸せ

幸せに頭からダイブするキタキツネの図

「人が本当に怖れているのは、幸せになることである」
このフレーズを初めて聞いたとき、半信半疑だった。

「だれだって幸せになりたいに決まってるじゃん!」
「幸せが怖いわけないじゃん!」
と、笑っていた。

でも、どうやらそれは本当らしい。

あなたがもし、電車でお年寄りに席をゆずって、「お礼にこれを…」と1000万円の札束が入った封筒を差し出されたとしたら、どんなリアクションをするだろう。

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「ありがとうございます!」と笑顔ですぐに1000万円の札束を受け取ることができるだろうか。
反射的に後ずさって「いやいや、とんでもありませんよ……」と謙遜して思わず受け取り拒否してしまうのではないだろうか。

電車で席を譲って、お年寄りに1000万円を差し出されたときの瞬時のリアクションが、あなたの「幸せを受け取る器の大きさや小ささ」をあらわしている。
同時に「何者でもない自分が、自分という存在に対して決めている価値の大きさや小ささ」もあらわしている。

今日、私にもそんな出来事が起こった。

ダーリンと出会ってから短期間で結婚が決まったのは、32歳のときに自分の在り方がまちがっていたことに気づいてから、自分を突き抜けてパートナーシップを持つことにコミットしてプロセスを地道にやり続けていたので、結婚が決まって周りはとても驚いていたけど、自分のなかでは、じつはたいして驚きはしなかった。

「あーはいはい、やっとここまできましたね、これまでがんばりましたね、私もダーリンも」と、とてもナチュラルに軽快に受け止められた。

(詳細はコチラ)
「いい男はどんどん売れていく」のではなく、「いい男は今まさに作られている」

https://kusanomido.com/sakurana/post-806/

さて、お次はどうしましょう?
まさにスタートラインに立った感じ。

そのあと、自分が高崎に生活の拠点を移すことをすんなり決められたことや、ダーリンがとつぜん、副業で焼き芋屋さんをやると言いだしたときには、多少は驚いた。

彼と出会ってから、想定外の連続で自分の幸せや豊かさを受け取るキャパが、自分の器を越えて広がりはじめたのを感じていた。

ところが、今日のダーリンからの提案(相談ですらなく、ほぼ報告だったけど^^)と決意には、さすがにたまげた。
驚きを通り越して「たまげた」。

たまげたすぎて、白目むいちゃって、あわあわして、なかなか現実を受け止められなかった。
へらへら笑っちゃって、数十分そのことを直視することができなかった。
とてもとても幸せで豊かなことなのに。

それをしてしまったら、自分が自分でいられなくなるような気がして、怖かった。
でも、これまでの自分の考え方や、やり方をさらに変えないと、その波には乗ることができないと瞬時に分かったから、すぐに変えることに決めた。

なによりダーリンの、ミラクルと恩恵と豊かさを引き寄せる力のパワフルさ、そして決意の揺るがなさと行動力が、とてつもなく圧倒的で、幸せを確信せざるをえなかった。

私がすることは、なにもせずに受け入れるしかないと悟った。

「人は、幸せになることを本当に怖れている」ということを、体感として理解した。

私は若かりし頃に、元カレから「宝くじが6億円当たった」と冗談でだまされて(しかも私のロト6が!)、驚きすぎてパニクって口から泡をふいたことがある。

人ってあまりに驚くと、泡をふいちゃうんですよ。

私のあまりの動揺っぷりに「このまま、だましつづけるとヤバいことになる!」と、あわてた元カレは、すぐに冗談だと種明かしをしてくれた。

だから私の動揺と興奮と泡ふきは数分で収まったし、実際には宝くじは当たっていなかったので、なーんだと思いつつ、どこかホッとしている自分も感じていた。

とつぜん意味もなく一気に幸せが降ってくることよりも、時間と身体の拘束による労働のラットレースのなかで現状維持をするほうが、私の自我にとっては当時は安全だったということだ。

でも、今回は「リアル」なのだ。
さすがに宝くじ6億円ほどの規模ではないけれど、私のこれまでの人生価値観の地盤が大きく揺るがされ、崩壊させられた。

彼の提案が実現するには少し時間がかかりそうだけど、もし本当に実現したら、私は今までの私ではなくなってしまう。それはとても怖いことだ。

幸せになるということ、自分が真に豊かになるということは、本当はとても恐ろしいことなのだ。
「自分がいなくなってしまう」から。

長年、慣れ親しんできた古い価値観を捨てて、新しい価値観を選択することにコミットしたら、怖れのドキドキがワクワクに変わってきた。

たとえそれが実現しなかったとしても、私の「幸せを受け取る器」が大きく広がったことが自覚できたことは、とても大きな収穫だ。
結果はどちらに転がってもいい。
いまはただ、ダーリンに感謝して委ねるのみ。

私とダーリンは、相互依存、ビジョナリーカップルの道を少しずつ歩みはじめている。
ダーリンからの、あるひと言で気づかされたのだけど……。

それは「自分のなかにある甘やかしを捨てる」ということを意味している。
これからが楽しみでもあり、なにより身が引き締まる思いである。

電車のなかでお年寄りに席を譲って、1000万円の札束を差し出され「ありがとうございます!」と笑顔で素直に受け取れる人に、本気でなっていきたい。
 
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