かぐや姫は「月の裏側」に行ったことがあったのか

シェアする

十五夜、月蝕、満月。
月のイベントが続くここ数日、意識は自然と月に向けさせられた。

日々、月の影響をモロに受けていながら、私は月があまり好きではない。
満月が近づくと、感情を波立たせ、体調を狂わせる。
安定しない、常に流動しているそのエネルギーに、私はせわしなさと疲れを感じることがある。
ときには、立ち止まって安定してもいいのではないか。

月蝕と満月の直前、久しぶりに「かぐや姫」が私の中にあられた。
「かぐや姫」は度々、私の人生に登場する。

「かぐや姫のストーリー」には、とっくの昔に飽きていた。
飽き飽きしすぎて、彼女の人生をコントのように感じるほどだ。

飽きているのに、そのエネルギーはまだ自分のなかにあり続ける。
かぐや姫のエネルギーは、出口のない迷路のように、私のなかを彷徨い続け、時折その顔をのぞかせる。
そして、私を戸惑わせ、落ち着かなくさせるのだ。

月にいた、かぐや姫。

「ここではないどこかに自分の居場所がある」

月から宇宙を眺め、地球を眺め。
地球に憧れて、この地にやってきた。

しかし、地球でも自分の居場所を見つけることができずに、記憶をなくして再び月に帰っていった。

「目の前にある今」と「目の前にある豊かさ」を受け取ることができないかぐや姫に、私はいつもイラだちを感じる。

かぐや姫が地球に来る前に、月から地球を見ていたとき、彼女は月のどのあたりにいたのだろう。
「地球が見えた」ということは、おそらくいわゆる表側だろう。

月に帰ったかぐや姫は、その後、月のどのあたりで、どのようにして過ごしているのだろう。
「自分の居場所」を見つけることはできただろうか。
あるいは、またどこかべつの惑星を旅しているのだろうか。

ふと「かぐや姫は、月の裏側に行ったことがあったのだろうか?」
と思った。

おそらくなかったのではないか。

そのとき、私のなかで何かが起きた。

スポンサーリンク

「月の裏側」

「太陽」と「月」の関係でいうなら、太陽は「陽」、月は「陰」をあらわす。
さらに「月の表側の世界」と「月の裏側の世界」の関係でいうなら、表側が「陽」で、裏側が「陰」。

「月の裏側」とは、「陰の陰の世界」である。

それは、言葉のない世界であり、すべてがある世界であった。
陰は極まると陽になる。

すべてがあるのに、言葉にできない。
とても、もどかしい。

「月の裏側」を言葉にしたいという欲望。
それ自体がすでにフェイク。

言葉に表すことは、けしてできない世界。
ただその世界を味わう。
見つめる。
ひとりで存在することでしか、そこにはいることはできない。

それは、とても孤独な世界。
だけど、寂しくもないし苦しくもない。
ただ、孤独があるだけだ。
孤独とともに在ることができたとき、そこには静寂が生まれる。
崇高なブラックの世界のなかで、それは平穏と安寧に変わった。

月の表側の世界や、地球。
太陽という光に照らされたとき、そこには同時に闇も起こる。
闇は光があってはじめて存在することができる。
闇には「闇という役割」がある。
意味づけができる。

しかし、月の裏側には、闇がない。
光が届かないから闇も存在することができない。
意味づけすることができない。

「意味づけできない」ということは、恐ろしいことである。

けれど、意味づけできない月の裏側に想いを馳せると、そこには、すべてがあった。
自分という存在も、使命も、世界の平和も、すべてがあった。
すべてがあって、安心に包まれた。

すべてがあるのに、言葉にできない。
すべてだから、言葉にならない。
すべてがあるのに、言葉だけがない世界。

言葉という形にして地球に持ち出して、みんなと共有したいという欲望に駆られるも、それをすることはできない。
そのもどかしさとジレンマに陥った。

表現できないことを受け入れてあきらめる。
あきらめると、私は再び月の裏側で孤独の安寧に包まれた。

そこから人生の第二幕をはじめることが、本質を生きることができるのだと悟った。

月の裏側は闇ではない。
ただ「裏側である」というだけである。

それは、「かごめかごめ」の「うしろの正面」に似ている。
「北極星」にも似ている。
似ているけれど、やはり言葉では表現できないものだ。

月の裏側で、ただひとり、孤独の安寧にたゆたっていると、遠くのほうにかぐや姫がいた。

無表情。

彼女の無表情が、私はずっと怖かった。
その表情の下に隠されたビッグバン寸前のような激しさと静けさと絶望に、いつも得体の知れない恐怖を感じていた。

けれど、今は彼女の無表情が怖くなくなっていた。

「月の裏側」の世界を受け取ることができたからかもしれない。

孤独の安寧のなかにいながら地球で生きていくことはできる。

同じように、かぐや姫も「月の裏側の世界」にいながら、「月の表側の世界」と「地球」とで、生きている。

「自分の居場所」をどこかに探す必要もない。

私たちは、孤独の安寧のなかで、すべての世界で同時に存在することができるのだ。

かぐや姫

 
スポンサードリンク