ここ最近、すっかりスーパールイボスティー屋さんとして生きているわたくしですが、水面下でいろいろと動き出しました。
数年ぶりにいくつかの新たな冒険に出ることになり、ワクワクこわいこわいワクワクしています。
「スーパールイボスティーの販売」のほうが私にとっては新世界だし新たな冒険のはずなのだけど、何も心配していないというか、やるべきことをやるのみという感覚。
内面の世界に飛び込んで、どこに出るのかわからない冒険は、私を本当の新世界へと連れていってくれます。
まだ見ぬ新世界は、なぜか絶景なことだけは知っている。
絶景をどうしても見たくて、その「なぜか知っている」感覚だけを手掛かりに、新たな船旅に出かけます。
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旅のお供は、久しぶりにお会いした編集者さんから偶然にもいただいた映画『沈黙』のパンフレット、
そして、ずっと嫌悪していた村上春樹のインタビュー集『夢を見るために 毎朝僕は目覚めるのです』。
中学生の頃から村上春樹の小説の魅力がわからなくて、ずっとさまざまな人に聞いてまわっていたけれど、どうしてもわからなかった。
あれだけ長年、世界的に売れているのだから「私にはわからない何か」があるにちがいないと、ずっと感じていて。
でも、どの作品を読んでも、どうしてもわからないことが悲しかった。
「何も残らない読後感」が悔しくて。
でも、「何も残らない読後感」こそにキーがあった。
昨日、ひょんなことからその謎が溶けて、村上春樹が世界的に読まれている理由をやっと理解した。
まさに「目が覚める」思いがした。
高崎に越してくるときに、多くの本を処分したのだけれど、嫌いなはずの村上春樹の『夢を見るために 毎朝僕は目覚めるのです』だけは手放すことができなかった。
2010年にこの本を買った本質の私は、きちんとわかっていた。
わかっていたし、本棚の向こう側からサインを送り続けてくれていた。
7年越しにサインを読み解くことができて、その「壮大な意思」にこうべを垂れる。
「自分」の意思ではない意思に動かされることの気持ち良さ。
ほんの少しだけ自分の意思であるかのように思わせてくれる、小さな大きな「動き」の気持ち良さ。
この些細な掴めるか掴めないかわからない、あるんだかないんだかわからない素粒子を見つけては消え、消えては見つけての瞬間が嬉しくて楽しくて、私は生きているのだなと思う。
謎が溶ける瞬間に立ち合って、その喜びを人と分かち合うには、「どういうカタチでもいいから生きつづけている必要」があって、どういうカタチでもいいから生きつづけきてよかったと思いました。
直感的に受け取った謎の答えや道筋を、きっとインタビュー集が教えてくれるのだと思います。
「村上春樹、嫌い」を、嫌いなまま、大切にしてきてよかった。
「嫌い」がもたらしてくれるギフトは、いつだって計り知れない。
だから、わざわざ「嫌い」を作っているのかな、とも思う。
『沈黙』のキチジローにも何度も助けられるのでしょう。
(キチジロー、私は大好きだけど^^)
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