大内義隆(おおうちよしたか)は周防・長門を始め5ヶ国の守護を務め、さらに最盛期には肥前も手に入れ北九州を掌握し、大内家を西国一の大大名とするなど最盛期に導きました。しかし、晩年に入ると文化に傾倒しまくり家臣の顰蹙を買ってしまい、最後…
皆さん、織田上総介信長、という人は聞いたことはあるだろうか?これは皆さんご存知の織田…
下克上と敗北陶晴賢(すえはるかた)は主君であり、当時北部九州・中国地方を支配していた大内義隆…
トップページに戻る
音楽は今でも大好きです。最近の若いバンドではSHISHAMOとかフレデリック…
リットン調査団の報告書は甘かった?1930年代のはじめ、世界は大恐慌の渦にありました。…
昭和20年8月15日、長かった戦争が終わりました。笠置シヅ子(当時は笠置シズ子)は、巡業先の…
平安時代に糖尿病?「結核」は昔の日本における国民病であり、平安時代にも多くの人が亡くなっ…
今回は前編に続いて後編である。着々と天下人への階段を登っていく秀吉、それを支えた秀長…
額田王とは額田王(ぬかたのおおきみ・生没年不詳)とは、飛鳥時代に生きたとされる日本の皇族…
1810年7月19日、国民から絶大な人気を誇りながら34歳の若さでこの世を去った、プロイセン…
Copyright © 草の実堂 All rights reserved.