調べてみた南北朝時代

  1. 『天皇が誘拐したほどの美女?』後醍醐天皇が最後まで愛し続けた西園寺禧子とは

    南北朝時代といえば二人の天皇が存在するという、長い日本の歴史の中でも異例の時代だった。その南北朝時代が始まるきっかけを作った後醍醐天皇には、これまた異例の恋愛結婚で結ばれた、目に入れても痛くないほど愛する中宮がいた。彼女の名…

  2. 【逃げ上手の若君】 鎌倉幕府の滅亡は何が原因だったのか?

    近年、大きな人気を博しているアニメ『逃げ上手の若君』。鎌倉幕府の滅亡という壮大な歴史…

  3. 【南北朝時代の内乱で散った男たち】 三木一草とは ~後醍醐天皇に仕えた四名の忠臣

    1333年、元弘の乱で鎌倉幕府を打ち倒した後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、新たな政治体制『建武の新…

  4. 南北朝最強武将!高師直は何を間違ったのか? 「観応の擾乱で敗れ、殺害される」~後編

    前編では高師直(こうのもろなお)が、室町幕府随一の最強武将だったことを解説した。後編では足利…

  5. 南北朝最強武将!好色な極悪人にされた高師直 「名将・北畠顕家、楠木正行を破る」~前編

    高師直とは高師直(こうのもろなお)とは、足利尊氏の右腕として南北朝時代最強と呼ばれた武将…

  6. そのひと手間で大違い!南北朝時代に活躍した楠木正成・正儀父子の人心掌握エピソード

  7. 足利尊氏の病と死因 「双極性障害 躁うつ病だった?」

  8. 楠木正成は、実は忍者だった説 「日本史上最大の軍事的天才」

  9. 「観応の擾乱」をわかりやすく解説 【日本史上最大の兄弟喧嘩 】

  10. 北条氏を滅ぼした新田義貞 【鎌倉幕府 倒幕への挙兵 悲運の功労者】

  11. 北条家最後の当主〜 北条時行の逃げまくりな人生 「逃げ上手の若君 鎌倉を3度も奪還」

おすすめ記事

中国最大の木造建築「紫禁城」 ~24人の皇帝が暮らした北京の故宮

紫禁城紫禁城(しきんじょう)とは、中華人民共和国の北京市内に所在する明清朝の歴史的建造物…

太田道灌について調べてみた【江戸城を最初に作った人物】

江戸の町が徳川家康により整備され、やがて世界有数の巨大都市になったことは有名である。しかし、家康…

徳川秀忠は駄目な二代目だったのか? 前編【関ヶ原の戦いで大遅刻】

徳川秀忠とは徳川秀忠(とくがわひでただ)は、徳川家康を父に持ち、三男でありながら家康の後…

戦国武将の知恵袋! 黒田官兵衛に学ぶ「倹約術」とは

黒田官兵衛とは黒田官兵衛は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と三英傑を渡り歩き、秀吉の参謀と…

【どうする家康】 なぜ武田信玄は「信玄公」なのか? 隠れた経済的センスに迫る

今でも武田信玄を神と崇める山梨県民武田信玄の本拠地だった山梨県(かつての甲斐国)では、今…

清朝の『弁髪』はかなり臭かった?「漢民族は弁髪にしないと斬首刑」

清朝(1644年-1912年)は、中国の最後の王朝であり、満洲族が統治した。清朝は漢…

『吉原から逃げ出した代償』遊女の足抜けと心中の過酷すぎる罰則とは

過酷な日々に耐えかねた遊女が、自由を勝ち取るために足抜けを試みて成功した例は、明確な史料はないものの…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP