上御霊社の戦い

  1. 応仁の乱の原因は史上最も「ゆるくて醜い」家督争いだった

    両軍合わせて27万もの軍勢を動員し、11年にも及んだ「応仁の乱」。どの勢力が戦い、勝者は誰だったのか?これが、応仁の乱を理解するための大きな壁となっている。なぜなら、主要人物だけでも数十人になり、決定的な勝者はいなかったからだ。…

おすすめ記事

「武士の鑑」畠山重忠の子孫は江戸時代まで続いた?『系図纂要』を読んでみよう【鎌倉殿の13人】

元久2年(1205年)6月22日。鎌倉武士の鑑であった畠山重忠(はたけやま しげただ)が、無実の罪に…

【三国志の豪傑】 張飛は目を開けたまま寝ていた? 「肝臓が悪い人に多い」

張飛言わずと知れた三国志の豪傑 張飛人間味のあるその性格と、人間離れした力や戦闘…

『毛沢東の息子はなぜ戦死したのか』チャーハンを炒めて爆撃された説は本当か?

毛沢東の子供たち中華人民共和国の建国者・毛沢東には複数の子供がいたとされている。…

昆虫食の歴史 「昆虫はなぜ食べられなくなったのか?」

昆虫食とは昆虫食とは、ハチの幼虫、イナゴなど、昆虫を食べることである。食材としては、幼虫や蛹が比…

関ヶ原の戦いは史上最大の情報戦だった 〜前編 「西軍についた毛利輝元は実はやる気満々だった?」

関ヶ原の戦いとは慶長5年(1600年)9月15日、徳川家康が率いる東軍と、石田三成を中心…

『戦国武将のストレス解消法』現代にも受け継がれるリラックス術とは?

400年以上も前の戦国時代に活躍した武将たちの生き様や言動は、今でも語り継がれ、現代人のビジネスやラ…

病みキャラ【漫画~キヒロの青春】60

ついにGWが終わってしまいましたね・・謎のプレゼント【漫画~キヒロの青春】61へ第一話か…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP