天目山の戦い

  1. 武田勝頼は本当に無能だったのか?

    武田勝頼は、父・信玄より優秀だった!?はじめに武田勝頼といえば、甲斐の戦国大名・武田信玄の息子。「武田を滅ぼしたダメ息子」という印象をもっている人が多いと思われる。よく「無能だ」「信玄より劣っている」といわれているが…

おすすめ記事

絶望的戦況で戦った「評価されるべき」日本の現場指揮官たち

日本の歴史を語る際に、第二次世界大戦における様々な記録を目にすることがあるだろう。こうした記…

毛沢東の死を見守った専属医師が明かす「最期の瞬間」

毛沢東の専属医師李志綏(り しすい)は、中国の指導者であった毛沢東の専属医師である。…

『最強の縁切り神社』京都・安井金比羅宮の「縁切り碑」とは

安井金比羅宮(やすいこんぴらぐう)は、京都の祇園・花見小路のほど近くに位置し、縁切り・縁結びの神社と…

古田織部・切腹した天下の茶人 【武将と茶人の二刀流~へうげもの】

古田織部とは古田織部(ふるたおりべ)は、織田信長・豊臣秀吉に仕えた戦国武将でありながら、…

15才で家康を産んだ母・於大の方は、どんな女性だった?

於大の方とは於大の方(おだいのかた)とは、戦国の世を統一し260余年にも及ぶ平和な江戸時…

【天才詩人同士の苛烈な愛憎劇】ランボーとヴェルレーヌの禁断の関係

19世紀後半のフランスにおいて、象徴派詩運動の先駆けとなった詩人、ポール・ヴェルレーヌ。…

いま何て言った?三河武士を「臆病」呼ばわりするとはどういう事か。鳥居忠次(鳥居元忠の弟)はこう答えた 【どうする家康】

明智光秀「……三河の方々は、いささか臆病に過ぎるようですなぁ。足手まといにならぬとよいが」※…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP