備中松山城(岡山県高梁市)は、標高480mの臥牛山(がぎゅうざん)の懐深く曲輪群を形成する。そして二層天守の白と黒のコントラストが木々の緑に鮮やかに浮き立つ。天守は江戸後期の築城だが、戦国期、すでに臥牛山の4つの峰々は要塞化されていた。…
トップページに戻る
以下の記事をYoutubeでも公開いたしました。ナレーション、イラスト付きでご視聴できます。…
坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)と言えば、征夷大将軍として蝦夷(えみし。東北地方の抵抗勢力)…
マリア・カロリーナ(1752~1814)とは、女帝マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツⅠ…
大同電鍋とは?台湾の一般家庭には必ずといっていいほどある大同電鍋(だいどうでんなべ)。…
戦国時代、武家の女性に課せられた役割の一つに「子供を産むこと」が挙げられます。男児ならば世継…
平家討伐に力を合わせながら、いざ平家を滅ぼすや次々と弟たちを滅ぼして行った源頼朝(みなもとの よりと…
紫禁城紫禁城(しきんじょう)とは、中華人民共和国の北京市内に所在する明清朝の歴史的建造物…
Copyright © 草の実堂 All rights reserved.