朱印船

  1. 外国人から見た戦国末期から江戸時代の日本

    16世紀半ばから17世紀半ばは「キリシタンの世紀」と呼ばれるが、同時にスペインやポルトガルなどとの南蛮貿易が盛んだった時期でもある。交易に従事する西洋人が中国産の生糸や絹織物、薬、鉛などの鉱物、硝石などをもたらした。その見返りとして…

おすすめ記事

果たされなかった兄弟との再会…源平合戦に散った頼朝公の弟・源義円【鎌倉殿の13人】

時は永暦元年(1160年)、世にいう平治の乱に敗れた源氏の棟梁・源義朝(みなもとの よしとも)が非業…

徳川秀忠は本当に凡庸だったのか? 【徳川2代目将軍】

徳川15代将軍のなかで、徳川秀忠の名はどこまで知られているのだろうか?もしかしたら、…

毛利敬親【多くの維新の人材を見出した そうせい候】

「そうせい候」毛利敬親(もうりたかちか)は、長州藩の第13代の藩主を務め、激動の幕末期におい…

浅野長政 ~朝鮮に渡ろうとしていた秀吉を「古狐が取り憑いた」と諫言

浅野長政とは浅野長政(あさのながまさ)とは、織田信長・豊臣秀吉に仕え、豊臣政権では五奉行…

【自殺か暗殺か?】オーストリア帝国の皇太子ルドルフの儚い生涯「うたかたの恋」

その美しさと悲劇的な最期で知られるオーストリア帝国の皇后エリザベートは、夫フランツ・ヨーゼフ1世との…

東海道の西の起点「京都三条通り」を歩いてみた ~近代建築と処刑された豊臣秀次の菩提寺

江戸日本橋から続く東海道五十三次。その西の終点でもあり、起点でもある三条大橋から延びる道が三条通りだ…

『日本に存在したスラム街』 明治に貧民たちを救った「残飯屋」 ~豚の餌で飢えを凌ぐ

かつて日本には「貧民窟」とよばれるスラム街があり、東京の下谷万年町(現在の上野駅近く)、芝新網町(浜…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP