袁譚

  1. 三国志の名門「袁家」はなぜ滅亡したのか?【袁紹の死と後継者問題】

    袁紹の死と袁家の滅亡三国時代の202年、次世代の天下人と目された当代屈指の英雄、袁紹(えんしょう)がこの世を去る。官渡の戦いでは曹操を撤退寸前まで追い詰め、天下に手が届くところまで来ていた男の死によって、官渡の戦いの勝者であ…

おすすめ記事

武田信玄は戦よりもイメージ戦略がうまかった

武田信玄(たけだしんげん)と言えば甲斐の虎と恐れられ、ライバルとされる越後の龍・上杉謙信との川中島の…

『織田信長の孫・三法師の悲劇』豊臣に殉じ、関ヶ原で敗れた26歳の短い生涯

織田家の正統な後継者となる1582年(天正10年)、織田信長は京都・本能寺にて明智光秀に…

武器や戦いが身近にあった 「日本の武家の女性たち」 〜女性の武芸指南役とは

戦国時代の時代劇や映画では、女性が武器を手にして戦う場面が描かれることが多い。実際に…

武田信虎 ~暴君とされた信玄の実父の功績

巷説での不行跡の数々武田信虎(たけだのぶとら)は戦国期において最強の名を欲しいまにした甲…

日本地図を作った男・伊能忠敬 「緯度の誤差は千分の一」

伊能忠敬とは伊能忠敬(いのうただたか)は、江戸時代に日本の歴史上初めて科学的な測量を全国に渡って…

だんじりの街・岸和田に、城下町と紀州街道の面影を求めて行ってみた

城下町と古い街道が融合した「だんじり」の街勇壮な「岸和田だんじり祭」で知られる大阪府の岸…

ニュルンベルク裁判と「人道に対する罪」の意義 ~哲学者・ヤスパースが果たした役割とは

前回の記事「ナチスを裁いたニュルンベルク裁判 “人道に対する罪”とは何か?」では、ニュルンベ…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP