豊臣秀吉

  1. 【京都歴史散策】豊臣秀吉の京都再開発で誕生した「寺町」の歴史ある寺社を巡る

    豊臣秀吉の京都都市計画で生まれた寺町寺町通(てらまちどおり)は、京都市の通りの一つ。現在は北は鞍馬口通りから、南は五条通りまで、全長約4.6kmの南北に走る道だ。四条通りから三条通りの間は、すぐ西を並行して走る新京極商店…

  2. ♪味よしのう~り売り…豊臣秀吉たちが繰り広げた仮装パーティ「瓜畑遊び」【どうする家康】

    NHK大河ドラマ「どうする家康」、皆さんも楽しんでいますか?筆者もこの先どんな展開になること…

  3. いざ江戸城へ!家康のお国替え『徳川実紀』を読んでみよう【どうする家康】

    北条氏政・氏直父子を滅ぼした豊臣秀吉から、関東への国替えを命じられた「我らが神の君」徳川家康。…

  4. 【どうする家康】 次に天下を狙うのは誰?秀吉が石田三成を挙げた理由は

    家康が、最も戦いたくなかった男石田三成 いしだ・みつなり[中村七之助 なかむらしちのすけ…

  5. 天正壬午の乱 〜徳川家康は如何にして甲斐・信濃を制したか【どうする家康】

    天正壬午の乱とは?1582年(天正10年)6月、甲斐の武田家を滅ぼした織田信長にもはや敵は存在せ…

  6. 軍隊は規律が大事!豊臣秀吉が九州征伐を前に発した軍法とは 【どうする家康】

  7. 秀吉は薩摩人で明智光秀は二人いた? 明史-日本伝 【中国から見た秀吉と信長】

  8. 安土桃山時代の茶人・廣野了頓(ひろのりょうとん)とは? 【豊臣秀吉・徳川家康が親しんだ人物の謎を探る】

  9. 【戦国史上最悪の籠城戦】 秀吉の鳥取城渇え殺し 〜「死肉を奪い合う城兵たち」

  10. 将たる者、武勇ばかりじゃ…「賤ヶ岳七本槍」脇坂安治が羽柴秀吉に命じられた任務とは

  11. 共に能力はありながら…天下を獲った秀吉と、北条を滅ぼせなかった太田資正の違いとは

おすすめ記事

鮭延秀綱の武勇 〜武田信玄・上杉謙信を超えると絶賛された「乞食大名」

日本には20数万とも言われる姓(苗字)があり、その中には強烈なインパクトを植えつけるユニークなものも…

【鎌倉殿の13人 前史】さりながら、矢一射てこそ…つつじ(辻殿)の祖父・源為朝が遂げた壮絶な最期

「……人々は何にも成給へ。為朝は今日の蔵人とよばれても何かせん。只もとの鎮西の八郎にて候はん」※…

幕末政治史をリードした陰の立役者『小松帯刀』について調べてみた

(出典:Wikipedia)「幕末薩摩藩」といえば、西郷隆盛、大久保利通などがすぐに思い…

「逃げの小五郎」と呼ばれた桂小五郎は剣豪だった 【坂本龍馬との試合】

桂小五郎とは桂小五郎(かつらこごろう)とは、西郷隆盛・大久保利通と共に「維新三傑」の一人…

石田三成の評価はなぜ二分するのか?【天才か凡人か】

戦国武将において石田三成ほど評価が二分する人物も珍しい。「実直」「傲慢」「天才」「凡人」とい…

【どうする家康】 家康の終活と人生最後の決断 「天皇、宗教、外様大名を法で封じ込める」

関ヶ原の戦いから10年後の慶長20年(1615年)5月に大坂城が落城し、豊臣秀頼と淀殿が自害…

清少納言と紫式部は、仲が悪かったというのは本当なのか?

「枕草子」を書いた清少納言と、「源氏物語」を書いた紫式部は、お互い仲が悪かったという話をどこ…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP