調べてみた戦国時代
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穴山梅雪は、なぜ武田勝頼を裏切って家康についたのか? 前編 「長篠で卑怯者と呼ばれる」
穴山梅雪とは甲斐の虎・武田信玄が率いた家臣団は「風林火山」の旗のもと、戦国最強と謳われていた。その中核を担っていたのが「武田二十四将」である。その中でも高い地位にいたのが今回紹介する、穴山信君(あなやまのぶただ)…
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中世の武士は泣き虫ばかり?漢(おとこ)たちが流した涙の理由とは 【どうする家康】
ネット上で、こんなご指摘(意訳)を見つけました。NHK大河ドラマ「どうする家康」で、主人公の徳川…
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武田信玄の命を縮めた一発の銃弾 【野田城で信玄を狙撃した鳥居三左衛門とは】
鳥居三左衛門(とりいさんざえもん)天文12年(1543年)大隅の国、種子島に漂着したポルトガ…
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今こそ御恩を返す時!三方ヶ原合戦に散った夏目広次(甲本雅裕)の壮絶な最期【どうする家康】
武骨な武将が多い家臣団の中で、家康を実務面で支える事務方の男。いつも目立たず、家康からは名前をなかな…
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肝っ玉母さんだった家康の次女・督姫 「池田輝政を大出世させた 超あげまん」
督姫とは督姫(とくひめ)とは、徳川家康と側室・西郡局との間に生まれた次女である。…
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【三方ヶ原の戦い】どうして徳川家康は鶴翼の陣で武田信玄に挑んだの?素朴な疑問を考察【どうする家康】
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【どうする家康】決死の救出作戦で生還した源三郎(長尾謙杜)。その後出番があるのか松平勝俊の生涯をたどってみた【大河ドラマ】
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宣教師ルイス・フロイスが見た織田信長 「信長の印象は強烈だった」
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28歳の若さで亡くなった家康のイケメン四男・ 松平忠吉とは
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時代劇の作り方について調べてみた 〜「どうする家康」はどうやって撮影しているのか?
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戦国最強・武田軍団を作った信玄の働き方改革 「最低な家臣たちの活用術」







