大友義鎮

  1. 大友宗麟について調べてみた【キリシタン大名】

    謎の多い 大友宗麟大友義鎮(おおともよししげ)は、大友氏第21代当主で、一般的には宗麟(そうりん)の号で知られている大名です。最大の版図を誇った1560年代には、豊後、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後の九州北部6か国を配下に治め、守護…

おすすめ記事

戦国武将たちが好んだ食事とは? 【信玄・謙信・信長が食べた戦国勝負飯】

戦国時代、合戦に明け暮れた全国の戦国武将たち。その中でも最強と謳われたのが「甲斐の虎・武田信玄」と「…

共通の敵の前に手を結んだローマ・カトリック教会とナチス

共産主義とヒトラー1933年にドイツにおいてアドルフ・ヒトラーとナチスが政権を握った際、…

スマートスピーカーの仕組みについて調べてみた

スマートスピーカー(通称スマスピ)は、Amazon Echo、Google Home、Clova W…

尼子経久 ~忍者を使って城を奪い取った下剋上大名【中国三代謀将】

尼子経久とは尼子経久(あまごつねひさ)は、北条早雲と並ぶ下剋上の典型と言われる武将である…

中国が「小笠原諸島」を軍事的に重視する理由とは? ~その戦略的重要性

小笠原諸島は、東京都から約1,000キロメートル南に位置する太平洋上の孤島群であり、父島、母島などを…

元朝の脅威的な「郵便システム」 〜知られざる元朝の功績とは

元朝とは歴史の授業で中国史を学ぶ際、「元」という王朝に触れることは少なくない。し…

【設楽原の戦いで討死】武田四天王・馬場信春は後世どう伝えられたか。その子孫たちも一挙紹介!【どうする家康】

時は天正3年(1575年)5月21日。織田・徳川連合軍の銃火に壊滅させられた、甲州武田の騎馬軍団。…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP