秦氏

  1. 渡来人・秦氏の足跡をたどって「太秦」を歩く~『京都歴史散歩』

    秦氏が本貫地とした「太秦」に残る史跡京都市右京区の太秦一帯には、秦氏の氏寺であった広隆寺のほか、秦氏に関係する寺社、古墳、史跡が点在している。秦氏は漢氏(あやし)などと並ぶ有力な渡来系氏族で、かつての大和国、山背国、河内国に住み…

  2. キリスト教は飛鳥時代に伝来していた説【平安京と秦氏】

    皆さんは、キリスト教伝来をどのように覚えているだろうか「あのザビエルが伝えたのでしょう?」と…

  3. 長宗我部氏-始まりから四国平定まで

    1. はじめに土佐の戦国大名で知られている長宗我部氏について取り上げる。ここでは、最初に…

おすすめ記事

不思議な『辻占い』が今も残る〜大阪「瓢簞山稲荷神社」に行ってみた

大阪の下町には、占いの原風景を今に伝える神社があるそうです。「瓢簞山稲荷神社(ひょうたんやま…

命がけの合戦中でも「メイク」を欠かさなかった戦国大名とは

今でこそ「メンズメイク」という言葉があるくらい男性も身だしなみに気を使い、メイクをする人が以前よりも…

【狂気と情熱の画家ゴッホ】死後に有名画家となった理由とは

ゴッホは、アートに詳しくない人でも『ひまわり』の画家として知られているだろう。生前は1枚しか…

『音を聞くと命が奪われる?』 日本と西洋の“音の妖怪”たちの伝承

「聴覚」は、人間にとって生き延びるために不可欠な五感のひとつである。人類は太古より、茂みに潜…

西郷隆盛の銅像 がなぜ上野公園にあるのか?

「2018年の顔」のひとりである西郷隆盛。NHKの大河ドラマ『西郷どん』は彼を主人公にしたも…

日本が台湾へ出兵するきっかけとなった 「牡丹社事件」

宮古島島民遭難事件1871年(明治4年)10月、台湾に漂着した宮古島島民54人が、現地人の部族に…

菅原孝標女はオタク女子だった?『更級日記の作者』

菅原孝標女とは菅原孝標女(すがはらのたかすえのむすめ・1008~1059?)は、平安時代…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP