岸信周

  1. 信長を苦しめた斎藤龍興と、知られざる猛将・岸信周、信房親子「美濃平定」

    はじめに織田信長(おだのぶなが)は永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで今川義元を討った後、三河の松平元康(のちの徳川家康)と清州同盟を結び互いに背後を固めた。義父・斎藤道三亡き後、美濃の斎藤義龍との攻防は一進一退であったが、永…

おすすめ記事

薩摩藩士50名以上と家老・平田靭負が自害した「宝暦治水事件」の悲劇とは

宝暦治水事件とは宝暦治水事件(ほうれきちすいじけん)は、江戸時代中期の宝暦年間に発生した…

精神障害者手帳はずるい?その実態

障害者手帳とは?障害者手帳とは、障害者として市役所等に申請し、認定された人に交付される手帳である…

江戸時代のたばこ事情 「喫煙しないのは100人に2〜3人だった?」

たばこの伝来世界中にたばこが広まったのは、1492年にコロンブスが新大陸(アメリカ大陸)…

人生訓から特殊な性癖まで?『古今狂歌袋』から面白い7首を紹介【大河べらぼう】

江戸時代、五七五七七の和歌に風刺や諧謔のスパイスを加え、人々の本音を詠んだ狂歌。テーマは詠み…

古代中国の皇帝はどうやって側室を選んだのか? ~多いときは一万人

皇帝の側室選びが持つ重要な意味古代中国において、皇帝の側室選びは単なる個人的な好みに留まらない、…

古代中国人はゴミ処理に厳しかった 「不法投棄者は顔に刺青を彫られた」

中国と台湾のゴミ処理に対する概念筆者が現在住んでいる台湾では、「ゴミのリサイクルに対する意識」が…

【日本総理大臣列伝】伊藤博文の人物像に迫る 「着飾ることを知らない正直者」

4度の内閣総理大臣をはじめ明治の政府要職を歴任した伊藤博文。元老として、明治~昭和の政治のベ…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP