岸信周

  1. 信長を苦しめた斎藤龍興と、知られざる猛将・岸信周、信房親子「美濃平定」

    はじめに織田信長(おだのぶなが)は永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで今川義元を討った後、三河の松平元康(のちの徳川家康)と清州同盟を結び互いに背後を固めた。義父・斎藤道三亡き後、美濃の斎藤義龍との攻防は一進一退であったが、永…

おすすめ記事

夏侯惇の生涯 「戦下手だが人格者だった」

謎に包まれた盲夏侯の生涯昔の人が書いたからか、三国志には登場人物に対してインパクト絶大の描写が目…

【日露戦争の引き金となった】 三国干渉とは

下関条約への干渉「三国干渉」とは、その名の通りロシア・ドイツ・フランスの三国が、日本に対…

【三国志】孫策と周瑜の早すぎる死、その真実は?『正史』と『演義』の違い

孫策と周瑜の早世について三国志の時代には多くの英傑が登場したが、当時の医療技術の未整備や…

武田信玄は戦よりもイメージ戦略がうまかった

武田信玄(たけだしんげん)と言えば甲斐の虎と恐れられ、ライバルとされる越後の龍・上杉謙信との川中島の…

関ケ原の戦い以降の毛利氏と明治維新

はじめに毛利元就が中国地方を統一した後、1571年に病死した。前回の記事 → 毛利氏―安…

【どうする家康】 羽柴秀吉が徳川家康を上洛・臣従させるまで 「まさに三顧の礼」

時は天正12年(1584年)3月、羽柴秀吉(はしば ひでよし)による織田政権簒奪に立ち向かった徳川家…

山縣有朋 の功績ついて調べてみた【今までの評価は間違い?】

明治2年(1869年)、山縣有朋(やまがたありとも)は、ヨーロッパの地にいた。明治維新を成功させ…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP