応仁元年1月に細川勝元陣営の畠山政長と山名宗全陣営の畠山義就の両軍が京都の上御霊(かみごりょう)神社で激突し、応仁の乱は幕を開けた。この戦いが日本史のターニングポイントだったのは確かである。これまでの通説によると、応仁の乱が勃発した…
両軍合わせて27万もの軍勢を動員し、11年にも及んだ「応仁の乱」。どの勢力が戦い、勝者は誰だった…
トップページに戻る
橋本左内とは橋本佐内 (はしもとさない)とは、明治維新の最大の功労者である西郷隆盛からそ…
曹操がいない世界線以前『三國志』シリーズに登場するifシナリオを紹介したが、曹操が赤壁の…
長期戦になったコロナ対策中国湖北省武漢から始まったと言われる新型コロナウイルスの世界的大流行。…
アレクサンドロス3世(紀元前356年7月20日~紀元前323年6月10日)はマケドニアの王で…
世界文化遺産「古都奈良の文化財」の構成要素である、東大寺と薬師寺には、境内の側に寺院を守護する神社(…
世界には多くの民族が存在する。その中でも戦争や戦いの中にアイデンティティを持っている民族がいくつか存…
18世紀のヨーロッパは、政治的な激動と複雑に絡み合う王室関係が特徴の時代でした。この時代、多…
Copyright © 草の実堂 All rights reserved.