応仁元年1月に細川勝元陣営の畠山政長と山名宗全陣営の畠山義就の両軍が京都の上御霊(かみごりょう)神社で激突し、応仁の乱は幕を開けた。この戦いが日本史のターニングポイントだったのは確かである。これまでの通説によると、応仁の乱が勃発した…
両軍合わせて27万もの軍勢を動員し、11年にも及んだ「応仁の乱」。どの勢力が戦い、勝者は誰だった…
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光秀の“天下人への道筋”が崩れ去った山崎の戦い「こんなはずではなかった!」総崩れ…
伊能忠敬とは伊能忠敬(いのうただたか)は、江戸時代に日本の歴史上初めて科学的な測量を全国に渡って…
戦艦ドレッドノートドレッドノート(Dreadnought)は1906年12月に就役したイ…
「もはや戦後ではない」※昭和三十一(1956)年度『経済白書』序文より昭和二十(1945)年…
江戸時代、大火や地震、事件、政変など、さまざまな速報を庶民に伝える役割を果たしていたのが、「瓦版(か…
日本史の授業で「明治憲法は天皇主権、平和憲法は国民主権」と教わった記憶のある方は多いでしょう。…
台湾の世界一台湾には「世界一」とされるものが多くある。その数なんと50項目。…
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