応仁元年1月に細川勝元陣営の畠山政長と山名宗全陣営の畠山義就の両軍が京都の上御霊(かみごりょう)神社で激突し、応仁の乱は幕を開けた。この戦いが日本史のターニングポイントだったのは確かである。これまでの通説によると、応仁の乱が勃発した…
両軍合わせて27万もの軍勢を動員し、11年にも及んだ「応仁の乱」。どの勢力が戦い、勝者は誰だった…
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「やってみせ、言って聞かせて させてみせ 褒めてやらねば 人は動かじ」戦後72年(平…
2024年3月14日付けの科学誌「Scientific Reports」に、2つのヘビ養殖場で行われ…
明智光秀像(本徳寺蔵)日本史上最大のクーデターと言える本能寺の変で主君織田信長を討っ…
はじめに戦国時代において、戦に勝利した大名が、勝ち取った国から物や財産を没収することは至極当然だ…
2024年に入り、大河ドラマ「光る君へ」が始まりましたね。テレビの前で放映されるのを、待ちどおし…
人類の歴史には、常識を超えた能力を持つ人物が数多く存在する。驚異的な記憶力や超人的な体力や運…
幕末の京の治安悪化京都守護職(きょうとしゅごしょく)は、幕末にあって文久2年(1862年…
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