応仁元年1月に細川勝元陣営の畠山政長と山名宗全陣営の畠山義就の両軍が京都の上御霊(かみごりょう)神社で激突し、応仁の乱は幕を開けた。この戦いが日本史のターニングポイントだったのは確かである。これまでの通説によると、応仁の乱が勃発した…
両軍合わせて27万もの軍勢を動員し、11年にも及んだ「応仁の乱」。どの勢力が戦い、勝者は誰だった…
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2019年にシリアで壊滅したとされるテロ組織「イスラム国(IS)」だが、その脅威が再び注目されている…
偉大な父の影黒田長政(くろだながまさ)は、豊臣秀吉の軍師として著名な黒田孝高(官兵衛)の嫡男…
現代社会、特に日本を含めた先進国は、「飽食の時代」と言われて久しい。コンビニエンスストアやス…
「いざ鎌倉」という言葉がある。「小学館 全文全訳古語辞典」によると、この言葉の意味は…
北伐の鍵となった祁山とは三国志終盤の中心となる蜀の北伐だが、読んでいると「祁山」(きざん…
中国陰の主役である宦官中国の歴史を語る上で欠かせない存在、それが 宦官 (かんがん)である。…
隆姫女王の同母妹祇子女王(のりこじょおう)稲川 美紅(いながわ・みく)隆姫女王の同母…
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