応仁元年1月に細川勝元陣営の畠山政長と山名宗全陣営の畠山義就の両軍が京都の上御霊(かみごりょう)神社で激突し、応仁の乱は幕を開けた。この戦いが日本史のターニングポイントだったのは確かである。これまでの通説によると、応仁の乱が勃発した…
両軍合わせて27万もの軍勢を動員し、11年にも及んだ「応仁の乱」。どの勢力が戦い、勝者は誰だった…
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大阪の原点・上町台地の一画に静かに眠る二人の文人大阪の東側に連なる上町台地(うえまちだい…
平安時代の社会的変化とは?NHK大河ドラマ「光る君へ」の舞台である平安時代(中期から後期…
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藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)は、藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の次男として706年に…
朝ドラ『虎に翼』で、元華族の涼子さまが「日傘からお弁当のふたを開けるまで、玉には世話になった」と言っ…
神話やファンタジーに詳しくないものでも「オーディン」の名を聞いたことくらいはあるだろう。北欧…
身内が不祥事を起こしてしまうと、何もしていない自分まで気まずい思いをしてしまうことは少なくありません…
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