疫病

  1. 【総人口の1/3が病死】奈良時代のパンデミック「疱瘡」~当時の疫病対策マニュアルとは

    時は天平7年(735年)から天平9年(737年)にかけて、日本中で疱瘡(天然痘)が大流行しました。疱瘡は九州から全国に蔓延し、首都・平城京でも藤原四兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂)をはじめ、朝廷の要人たちが…

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