調べてみた日本史

  1. 秀吉死去後、豊臣家を守り続けた加藤清正 【二条城の会見】

    虎退治で名を馳せた戦国の猛将 加藤清正豊臣秀吉子飼いの武将として、天下統一を最前線で支えた。武勇ばかりでなく知略にも長けていた清正は、肥後で反乱が起きたとき、次のように進言している。『武力での鎮圧は無理です。平和的に慈悲を持…

  2. 【戦国時代】合戦終了後の遺体はどう処理していたのか?

    日本史において戦国時代は大変人気のある時代である。日本各地で大名たちが戦を繰り広げ、…

  3. 「板垣退助が討幕のために作った武力集団」 迅衝隊

    板垣退助と迅衝隊幕末において有名な「隊」と言えば、長州において高杉晋作が率いた奇兵隊、土…

  4. 首実検は戦国の世でどのように行われていたのか? 「首の表情で占いもしていた」

    首実検(くびじっけん)とは、昔の日本の戦において武士が討ち取った敵の首級を持ち帰り、その身元…

  5. 「滅びゆく徳川幕府に殉じた忠臣」 川路聖謨(かわじとしあきら)

    壮絶な自決川路聖謨(かわじとしあきら)は、江戸時代末期の幕臣であり低い身分から御家人、旗…

  6. 徳川秀忠は駄目な二代目だったのか? 後編 「家康死後、豹変した秀忠がやったこと」

  7. 夢はでっかく美濃・尾張!頼朝の父・源義朝を闇討ちした長田忠致の末路【鎌倉殿の13人】

  8. 徳川秀忠は駄目な二代目だったのか? 前編【関ヶ原の戦いで大遅刻】

  9. 奈良の大仏は過去に何度も破壊されていた

  10. 誠意を見せろ!部下の不祥事を詫びるため、源頼朝が梶原景時に命じたのは…【鎌倉殿の13人】

  11. 【日本史上最期にして最大の内戦】 西南戦争・田原坂、吉次峠の戦い

おすすめ記事

戦国の覇王・信長の強さについて検証してみた

信長はどうやって力を得たのか?織田信長は、明智光秀に謀反を起こされた本能寺の変の時全国の…

豊臣家を内政・外政で支えた北政所ねね 「信長まで魅了した、ねねの魅力と機智」

大坂夏の陣で武家摂関・豊臣氏が滅亡慶長20年(1615年)5月8日正午。京都東山…

【ブギウギ】 羽鳥先生は上海で何をしていたのか? 特殊任務「文化工作」とは

戦時中、羽鳥善一のモデル・服部良一は陸軍から召集を受け、上海へ渡っています。彼に課せられた任…

嫉妬に狂った鬼女の【丑の刻参り】 憎い浮気相手も親族も呪い殺した「橋姫伝説」

縄文時代から存在していたという「呪術」。平安時代になり、陰陽師や修験道の世界では、さまざまな呪術が生…

【現代版ノアの箱舟】中性子星が地球に接近したら人類はどうする?

宇宙には様々な天体が存在する。我々の住む地球のような惑星、太陽のような恒星、ブラックホールなどな…

もう中華系だからとは言わせない!HUAWEI端末の本気

家電に詳しい人でも「HUAWEI(ファーウェイ)」の名前は聞いたことはないかもしれない。しかし、…

松尾芭蕉は隠密、忍者だったのか? 「奥の細道、不可解な行動」

松尾芭蕉とは江戸時代、俳聖と謳われた松尾芭蕉(まつおばしょう)の代表作が「おくのほそ道(…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP