調べてみた戦国時代

  1. 三河一向一揆で大活躍!徳川家康に仕えた土屋重治の忠義と最期【どうする家康】

    時は永禄6年(1563年)に勃発した三河一向一揆は松平家臣団を震撼せしめ、信仰と忠義の板挟みになった結果、家臣のおよそ半分が一揆側に寝返ってしまったそうです。そんな中、葛藤を乗り越えて主君への忠義を貫き、神仏も畏れず戦った者も少なか…

  2. 【どうする家康】徳川家康は女性登用も上手かった 「茶阿局と阿茶局の活躍」

    徳川家康は、豊臣氏に代わって政権を担う前に多くの未亡人を側室としている。家康は女性の才能を理…

  3. 家康と瀬名の息子・徳川信康のパーフェクト?な生涯をたどる【どうする家康】

    パーフェクトな息子徳川信康 とくがわ・のぶやす(竹千代 たけちよ)[細田佳央太 ほそだか…

  4. 家康・三大危機の1つ 「三河一向一揆」とは? 【部下や親戚まで敵となる】

    徳川家康の三大危機と云えば、・徳川・織田連合軍が武田信玄と戦った「三方ヶ原の戦い」・本能寺の…

  5. 昨日の友も今日は敵。共に今川を攻めた武田信玄の裏切り、追い詰められた家康は……【どうする家康】

    「大井川を境として、西の遠州は貴殿が切り取られよ。東の駿州は我らが貰おう……」盟友・今川義元…

  6. 開国路線だった家康は、なぜ心変わりしたのか? 【岡本大八事件】

  7. 徳川家康は世界中と貿易しようとしていた 「鎖国とは真逆の外交政策だった」

  8. 将たる者、武勇ばかりじゃ…「賤ヶ岳七本槍」脇坂安治が羽柴秀吉に命じられた任務とは

  9. 今川義元が討死!大高城に残る?それとも逃げる?松平元康の決断は【どうする家康】

  10. 武士の嗜み「武芸四門」とは?武田軍の最高指揮官・山県昌景(橋本さとし演)かく語りき【どうする家康】

  11. 築山殿事件で瀬名と命運を共にする少女“たね”とは何者?その実像に迫る【どうする家康】

おすすめ記事

【デンマーク初の女王誕生のきっかけを作った王妃】イングリッド・アヴ・スヴェーリエ

イングリッド・アヴ・スヴェーリエ (1910年~2000年)とは、スウェーデンの王女で、デン…

開けてしまった箱の中には…『今昔物語集』が伝える「見るな」の教訓

昔から「女の『見るな』は絶対見るな」などと言われたものですが、とかく女性が『見るな』と言った場合、フ…

徐福 ~始皇帝をペテンにかけた謎の方術士【日本にも伝わる徐福伝説】

伝説になった男秦の始皇帝は中華統一を成し遂げると、今度は不老不死となるべく仙人やら方術士…

五稜郭の星型の秘密について調べてみた「未完成の北海道最新鋭城郭」

北海道函館市にある「五稜郭」は、同地の著名な観光スポットだ。上空から見ると整った星型をしてお…

天皇賞(秋)の歴史を調べてみた

天皇賞(秋)とは天皇賞(秋)(3歳以上オープン 国際・指定 定量 2000m芝・左)は、…

【三国志】 玉璽は「孫堅→袁術」へ渡った後、どこへ行ったのか? 【7個あった説】

今回は三国志における伝説的なアイテム『玉璽(ぎょくじ)』について語りたい。玉璽とは簡単に…

頼朝公のためならば…危険を恐れず千葉介常胤を味方につけた安達盛長の献身的な奉公【鎌倉殿の13人】

源頼朝(みなもとの よりとも)が伊豆の流罪人だったころから仕え続け、後に鎌倉幕府の宿老となった安達盛…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP