戦国時代

戦国時代、夫と死に別れた悲劇のヒロイン・小桜姫が神様に祀られ、人々を救った三浦の伝承

古来「死して護国の鬼たらん」などと言いますが、自分の死後も故郷や大切な人々を見守っていきたいと願う方は少なくありません。

それも出来ることなら、ただ見ているだけではなく、ここ一番で守る力を得たい。そんな思いが、霊的な存在を意味する「鬼」と表現されました(決して悪い意味ばかりではないのです)。

今回紹介するのは、戦国時代に生きたとされる小桜姫(こざくらひめ)。神奈川県三浦半島に伝わる悲劇のヒロインなのだそうですが、彼女にいったいどのようなエピソードがあるのか、調べてみました。

小桜姫の生涯をたどる

小桜姫は相模国(現:神奈川県の大部分)の戦国大名・三浦荒次郎(みうら あらじろう)の妻とされていますが、三浦一族にまつわる『北条五代記』『相州兵乱記』などの史料にその名は見えず、昭和の時代になって書かれた『小桜姫物語』という書籍にのみ登場します。

三浦荒治郎(荒次郎)義意。『英雄百首』

※荒次郎の諱(忌み名)は諸史料では義意(よしおき)ですが、『小桜姫物語』では義光(よしみつ)となっていますが、もしかしたら「よしおき」を「よしあき(義光)」と誤解して伝えたのかも知れません。

じゃあ創作、架空の人物なんじゃないの?と切り捨ててもいいのですが(歴史学的にはそれが正しい態度ですが)、現に彼女をご祭神として祀る神社と伝承が残っているため、そのモデルとなった女性やエピソードがあったのかも知れない、と考える余地くらいはあるでしょう。

そこで、今回は『小桜姫物語』の記述をベースに諸史料と突き合わせ、辻褄が合うように解釈をまとめてみました。

【小桜姫と荒次郎の関連年表】

※行末の年齢は小桜姫/荒次郎。

文明16年(1484年) 小櫻姫が誕生 1歳/ーー

明応5年(1496年) 三浦荒次郎が誕生 12歳/1歳

文亀3年(1503年) 小櫻姫が荒次郎に嫁ぐ 20歳/8歳

永正7年(1510年)ごろ 荒次郎が三浦の家督を継ぐ 27歳/15歳

永正10年(1513年)ごろ 伊勢宗瑞に攻められ、約3年間の籠城戦を展開 30歳/18歳

永正13年(1516年) 荒次郎が討死、三浦家が滅亡 33歳/21歳

永正14年(1517年) 小櫻姫が病没 34歳/ーー

小桜姫は鎌倉の住人で幕府(足利幕府の鎌倉府)に仕えていた下級役人・大江廣信(おおえの ひろのぶ)の一人娘として誕生しました。母親は加納袈裟代(かのう けさよ)と言うそうです(女性の名前が伝わっているのは珍しいですね)。

(※父母のどちらも史料に名前が見えないため、実在したのだとしたら記録に残されないほど身分が低かったのでしょう)

良家の娘として読み書き手習い和歌など一通りの教育を受け、母からは薙刀、結婚してからは武家の嗜みとして馬術も仕込まれたのだとか。

荒次郎に嫁いだ小桜姫(イメージ)

そんな小桜姫が荒次郎に嫁いだのは彼女が20歳の時だそうで、夫となる荒次郎は当時8歳。一回り年齢の違う姐さん女房であり、典型的な政略結婚だったことが分かります。

ただし、三浦荒次郎の妻として史料に記録されているのは上総国(現:千葉県中部)の戦国大名・真里谷信勝(まりやつ のぶかつ)の娘だけなので、側室だった可能性が考えられます。

あるいは、小桜姫に子供がいなかったため、三浦家に記録されなかった?のかも知れません(※現代からすればとんでもない話ですが、当時はそれが珍しくありませんでした。そもそも、子供を産んでいても「女」とだけ記されることがほとんどですし)。

当時、三浦一族は相模国の東半分以上を支配する勢力を築いていたため、小桜姫の嫁ぎ先としては申し分ない玉の輿でした。

夫婦生活は円満だったようで、十年以上の歳月を共にしましたが、やがて小田原城を乗っ取った伊勢宗瑞(いせ そうずい。後の北条早雲)が西から侵攻してくると、次第に劣勢となり、とうとう三浦半島の荒井城(現:三浦市)にまで追い詰められてしまいます。

「女子供は避難しておれ……かくなる上は、三浦の意地を見せてやる!」

小桜姫らは城外へ退避し、籠城戦の様子を窺っていたと言いますが、流石は八十五人力とも称えられた豪傑、荒次郎は3年間にもわたり徹底抗戦を繰り広げたそうです。

しかし天は三浦に味方せず、あえなく荒井城は陥落。荒次郎は討死したとも自刃したとも言われ、いずれにせよ壮絶な最期を遂げたのでした。時に永正13年(1516年)、荒次郎は21歳でした。

「おのれ、よくも夫を……三浦一族の怨み、晴らさでおくべきか!」

三浦家再興を目指した小桜姫だったが……(イメージ)

わずかに残った家臣たちをかき集めて捲土重来を期した小桜姫でしたが、追手を逃れて各地に潜伏する内に身体を壊してしまいます。

「のぅ、姫よ。そなたの夫を思う気持ちは尊いものだが、もはや三浦家は滅び去り、たとい復讐成ったとて、誰が喜ぶというのだろうか。ここは一つ、鎌倉で静養してはくれまいか」

年老いた父が説得に訪れましたが、小桜姫は聞きません。果たして落城から1年が過ぎた永正14年(1517年)、小桜姫は34歳の生涯に幕を閉じたということです。

大津波から三浦の民を守る

夫の死後もその故地を離れることなく生涯を全うした貞女の鑑として称えられた小桜姫は、その死後も花を供えて線香を上げ、供養する者が絶えませんでした。

さて、小桜姫が亡くなってから永い歳月を経たある時のこと。三浦半島一帯を、大地震が襲ったそうです。

迫りくる大津波(イメージ)

「間もなく津波がやって来る……このままではみんな呑まれてしまう……どうか姫様、村のみんなをお守り下され……!」

小桜姫の墓前で必死に祈りを奉げるのは、とある漁民の妻。それを聞いた小桜姫の神霊は、何とかしてあげたいと思わずにいられなかったのでしょう。

「龍神様、どうか三浦の者どもを、津波よりお救い下さいまし……」

これを哀れに思った龍神様は願いを聞いてやり、太平洋沿岸に津波が襲い、房総半島や伊豆半島にも甚大な被害が出たものの、三浦半島だけは比較的軽い被害で済んだということです。

(※)この津波がいつのことかは明記されていませんが、状況から推測するに慶長地震(慶長9・1605年)ではないかと考えられます。

「ありがとう存じます……!」

漁民の妻が小桜姫にお祈りしたことをみんなに話すと、これは感謝せずばなるまい、と社を建てて小桜姫をお祀りし、これが小桜神社(現:諸磯神明社 境内)として今日に伝わっています。

終わりに

諸磯神明社 周辺地図

……との事ですが、実際のところは分かりません。あくまで「三浦の土地に伝わる昔ばなし(と言っても数十年ですが……)」程度にとらえておくのがいいでしょう。

とは言え、この物語そしてヒロインである小桜姫を愛する人々がいるのもまた事実であり、彼女の神霊が今もこの地を見守ってくれていると思うと、三浦半島の風景もまた違って見えるかも知れません。

※参考文献:
上杉孝良『三浦一族 その興亡の歴史』横須賀市、2007年3月
浅野和三郎『小桜姫物語』ゴマブックス、2016年7月

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角田晶生(つのだ あきお)

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