戦国時代

戦国武将はどうやって情報を伝えていたのか? 「書状から忍者まで」

戦国時代、日本各地で戦国武将たちが勢力を争った時代において、情報伝達の手段や諜報・調略活動は極めて重要な役割を果たしていた。

情報のやり取りや敵の動きを把握するために、戦国武将たちはさまざまな方法を駆使して戦国の世を生き抜いていた。

今回は、当時の主要な情報伝達手段と諜報・調略活動について触れていきたい。

書状

戦国武将はどうやって情報を伝えていたのか?

画像 : 上杉謙信の書状 wiki c AlexHe34

戦国時代の情報伝達手段として、最も一般的だったのが「書状」である。

書状は、戦国武将たちが私的に書いた文書を指すが、公的な文書は「印判状(いんばんじょう)」と呼ばれ、現在の判子にあたる印判が押印されていた。

また、家臣に対して所領の給付を伝える「判物(はんもつ)」、合戦での戦功を証明する「感状(かんじょう)」、戦国大名が寺社や町に発給する「禁制(きんせい)」といった文書も含めて、総称的に「書状」と呼ばれることが多い。

戦国武将同士が交わした書状には、「恐々謹言(きょうきょうきんげん)」という文言が文末に付けられることが一般的であり、これは「恐れながらも謹んで申し上げる」という意味である。

現在のような郵便制度はなく、多くの領国では「伝馬制度(でんませいど)」が採用されていた。これは一定の区間ごとに宿駅(しゅくえき)を設けてリレー方式で馬を走らせて書状を届ける制度である。

画像 : 『飛脚、日本と絵入り日本人』エメ・アンベール画 1874年 public domain

また、敵国を通過する際には、書状が奪われて情報が漏れる危険性があった。そのため、使者として選ばれた側近や、文書や金銭を専門に輸送する「飛脚」が相手に直接赴いて書状を手渡すことが一般的だった。さらに、重要な機密情報はあえて書状に記さず、口答で伝えることも多かったという。

「書状」は、多くの情報を正確に伝えられるメリットがある一方で、敵に重要な情報を奪われる危険性も伴っていた。

狼煙

画像 : 狼煙 イメージ

敵の襲来などの緊急事態を伝えるのに使われたのが「狼煙(のろし)」である。

狼煙台という櫓を設け、煙を上げることで遠方に情報を伝えることができた。

しかし、視認ができる距離には限度があることや、風の強い日や雨天時には使えないというデメリットもあり、複数の狼煙台を等間隔に設けてリレー方式で情報を伝達する方法が整備されていた。

また、煙は日中にしか視認できないために、夜間には火を灯すことで狼煙の代わりとした。

特に武田信玄は狼煙を有効に活用し、『甲陽軍鑑』には信濃・駿河・相模・越後からの敵の侵入を迅速に知らせるために、狼煙網を整備したと記されている。

陣太鼓・陣鐘・拍子木・法螺貝

画像 : 法螺貝を吹く甲冑武者(姫路お城祭) wiki © Corpse Reviver

戦時における音による情報伝達には「陣太鼓」「陣鐘」「拍子木」「法螺貝」といった鳴り物が用いられた。

大軍を規律正しく動かすために、指揮官はこれらの鳴り物を使って集合・散開・前進・後退の指示を伝えた。

陣太鼓は戦場で雑兵が背負い、太鼓役の武士が拍子を打ちながら伝令を伝えた。
陣鐘は陣太鼓よりも音が大きく、より遠方に音を伝えるために使われた。
拍子木は硬い木で作られた2本の四角い棒を鳴らすもので、太鼓や鐘よりも音が小さいので小規模な戦でしか使用されなかった。

法螺貝は元々修験道の山伏が宗教的な儀式で用いたものだが、戦場では吹き方の違いで伝令を伝え、軍の統制に利用された。
当初は山伏が戦場に徴用され、指揮官の伝令に従って法螺貝を吹いていたが、次第に武将自らが吹くことが増え、法螺貝を持つことが一軍の大将のステータスとみなされるようになった。

忍者

画像 : 忍者 イメージ CC BY-NC-SA

戦国武将たちは、情報戦略のために諸国に「間諜(かんちょう)」というスパイを派遣し、その代表的な存在が「忍者」であった。

忍者と聞くと、頭からつま先まで黒い忍び装束をまとい、顔を隠している姿を想像する方も多いかもしれない。しかし、実際にはその姿の方が目立ってしまうため、忍者は普段から変装をして人々の日常に紛れ込んでいた。

虚無僧・僧侶・山伏・商人・大道芸人・猿楽師・一般人といった七つの姿に変装したため、忍者の変装姿はそれらを総称して「七放出(しちほうで)」と呼ばれた。

有名な忍者集団には、武田信玄に仕えた透波(すっぱ)や歩き巫女(あるきみこ)、上杉謙信に仕えた軒猿(のきざる)、北条氏に仕えた風魔(ふうま)、織田信長に仕えた甲賀(こうが)、徳川家康に仕えた伊賀(いが)、伊達政宗に仕えた黒脛巾組(くろはばきぐみ)、毛利元就に仕えた座頭衆(ざとうしゅう)と世鬼一族(せきいちぞく)、真田昌幸・信繁に仕えた草の者(くさのもの)などがある。

様々な調略活動

戦国武将たちも好んで戦をしていたわけではなかった。

できる限り無駄な戦による消耗を避け、無血で敵に勝利し、有能な家臣を迎え入れて領国を拡大したいと考えていた。

そのために行われた様々な取り組みが「調略活動」である。

内応

敵陣に内通者を作ることを「内応(ないおう)」と呼ぶ。

織田信長が斎藤龍興の稲葉山城を攻めた際、美濃三人衆(稲葉一鉄、安藤守就、氏家卜全)を内通者としたことで、斎藤龍興は孤立し、戦わずして稲葉山城を放棄する結果となった。

離間

画像 : 三国志での離間の計 ※董卓と呂布を離間させた貂蝉 public domain

また、敵側の誰かが裏切っているという噂や、こちらの内通者であるという噂を流し、敵を疑心暗鬼に陥らせて仲間割れを促す「離間の計(りかんのけい)」も調略活動の一つである。

流言

「流言(りゅうげん)」は、意図的に嘘の情報を流して敵を混乱させる方法で、特に緊急事態において広まりやすい特徴があった。

おわりに

様々な情報ツールが発達し、どこにいても気軽に連絡が取れる現代とは異なり、戦国時代における情報伝達は時に命懸けの厳しいものだった。

戦国武将たちは、できるだけ人的・経済的な損失を避け、効率よく領国を運営するために、様々な情報伝達や調略活動を駆使し、戦国の世を生き抜いていたのだ。

参考:「戦国 戦の作法」「戦国10大合戦の謎」
文 / rapports

 

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