将軍になれなかった鎌倉公方足利将軍家が成立してから約90年が経ったとある時、京都の足利将軍家では、とある揉め事が起こっていました。当時第5代将軍だった足利義量(あしかがよしかず)は、父である足利義持の政治介入もあって酒の飲み過ぎ…
トップページに戻る
三河で一番の色男(本人談)大久保忠世 おおくぼ・ただよ[小手伸也 こてしんや]戦場では勇…
横井小楠(よこいしょうなん)の生い立ち横井小楠は文化6年(1809年)、肥後国の内坪井町…
城は天守だけが主役のように感じていませんか?天守の脇役のようにしか思っていなかった櫓…
信長の才能を見抜いていた 朝倉宗滴朝倉宗滴(あさくらそうてき)は元の名を教景(のりかげ)とい…
2024年に放送されたNHK大河ドラマ『光る君へ』では、平安時代を代表する文学者・紫式部の波…
新選組初代筆頭局長芹沢鴨(せりざわかも)は、幕末の京にあって尊王攘夷派の志士達を恐れさせ…
消滅の後に復活した「雷竜」筆者が恐竜と出会った頃、竜脚類は雷竜(カミナリ竜)と呼ばれる事…
Copyright © 草の実堂 All rights reserved.