徳川四天王

  1. 本多忠勝はどのくらい強かったのか?【戦国最強武将】

    戦国最強と言われる武将アンケートで、必ず登場する武将が 本多忠勝 です。選ばれる大きな理由としては「生涯合戦回数57回において、かすり傷1つ負わなかった」というエピソードが有名です。生涯を徳川家康に捧げた忠臣・本多忠勝は、ど…

  2. 榊原康政について調べてみた【文武に秀でた徳川四天王】

    書も達者榊原康政(さかきばらやすまさ)は徳川家康に小姓として出仕し、後には酒井忠次、本多…

  3. 酒井忠次について調べてみた【信長からも称賛された徳川四天王筆頭】

    四天王の筆頭酒井忠次(さかいただつぐ)は徳川家の譜代の家臣として、家康の父・松平広忠の時…

  4. 井伊直政 ~徳川四天王で最も出世した万能武将

    結束の固い徳川家臣団にあって、外様だった井伊直政が「徳川四天王」とまで呼ばれるまでの身分となった。し…

  5. 本多忠勝の忠義について調べてみた

    戦国の世は、家臣が主君を、親が子を、子が親を裏切るのが当たり前の時代だった。「義」を重んずる上杉…

おすすめ記事

江戸時代のかなり奇妙な珍仕事 【唐辛子売り、女装して餅売り、なぞなぞで金品をねだる 〜他】

唐辛子売り江戸の町では蕎麦が流行しており、江戸時代後期には3000軒以上の蕎麦屋があった…

「伝説の舞姫が迎えた、あまりに悲しい最期」浅草オペラの女王・澤モリノ

大正時代、人々を熱狂させ絶大な人気を巻き起こした芸能・浅草オペラ。そんな浅草オペラが盛んな頃…

【どうする家康】 織田信長の凱旋道中!徳川家康によるおもてなしがコチラ 「ぶらり富士遊覧」

天正10年(1582年)3月11日、甲斐国天目山で武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の自害により武田家が滅亡…

『呪いか、詐欺か』昭和に実在した“指切り村”の実態とは

九州・福岡県の北東部に位置する大任町(おおとうまち)は、現在では人口5000人に満たない静か…

支倉常長【250年の時を超えてヨーロッパと日本を繋いだ武士】

実は合同だった遣欧使節支倉常長(はせくらつねなが)は東北地方の雄・伊達政宗の家臣として、…

『北海道は侵略される寸前だった?』中止されたソ連の北海道侵攻計画とは

第二次世界大戦の終戦間際、ソビエト連邦(ソ連)が北海道に侵攻する計画を立てていたという話は、歴史の裏…

仁丹について調べてみた

仁丹 について調べてみた今よりだいぶ昔、お正月になると必ずお年玉をくれるおじさんがいました。…

アーカイブ

カテゴリー

PAGE TOP