調べてみた大正&昭和
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やなせたかしは三越の“不良社員”だった「会社で副業三昧、脱サラして漫画家に」※あんぱん
昭和22年10月、28歳で三越百貨店に入社したやなせたかし氏は、宣伝部でポスターや看板の制作などを手がけていました。今も使われている包装紙のロゴも、彼のデザインです。そんなやなせ氏がひそかに情熱を注いでいたのが「漫画」の世界…
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やなせたかし氏と小松暢さんのおかしな同棲生活 ~「お化けボロアパート」※あんぱん
1947年(昭和22年)6月、高知から上京したやなせたかし氏は、恋人の小松暢さんと同棲生活をはじめま…
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明治・大正・昭和の天皇陵は、なぜ上円下方墳なのか?御陵に隠された驚くべき真実とは
明治天皇陵の規範は「天智天皇陵」だった1926(大正15)年10月、皇室の陵墓に関する法…
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『日本政府の中枢にいたソ連スパイ』死刑になった新聞記者・尾崎秀実とは ~ゾルゲ事件
尾崎秀実(おざき ほつみ)は、日本人ジャーナリスト兼評論家でありながら、ソ連のスパイとしても…
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やなせたかし、上京の裏にあった「女を追いかけて行くのか?」という批判の声 ※あんぱん
『月刊高知』編集部でともに働くうちに惹かれ合い、恋人同士となったやなせたかし氏と小松暢さん。…
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「伝説の舞姫が迎えた、あまりに悲しい最期」浅草オペラの女王・澤モリノ
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「出れば米兵に殺される」恐怖が招いた集団死 〜沖縄チビチリガマの悲劇とは
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朝ドラでは“ぼんくら社員” 史実のやなせたかしは有能編集マンだった ※あんぱん
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やなせたかし氏と小松暢さんのなれそめ「一目ぼれだった、突然のキス」※あんぱん
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やなせたかし氏の妻・小松暢は高知新聞社の「伝説の婦人記者」だった
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『戦時下の元祖アイドル』戦争に行く若者たちを励まし続けた「明日待子」の生涯







