調べてみた歴史
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武田勝頼は愚将ではなかった? 信長・家康・謙信からの評価とは
天正10年(1582年)3月11日、甲斐天目山にて武田勝頼主従が自刃。ここに戦国大名としての武田家は滅亡しました。武田勝頼と言えば、偉大なる父・武田信玄を超えようと躍起になった結果、重臣たちの信望を失った愚将として語られがちです。…
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『古代中国』妃や宮女たちが頼った、今では信じられない避妊法とは
「子をなすこと」は、人類の営みの中でも最も根源的な行為のひとつである。だがその一方で、「子を…
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京都の「裏」を探索! 〜西陣に残る不思議な伝承と庶民信仰の寺社たち
コロナがひと段落したなんて言われる昨今、ワールドワイドな観光地として、世界中から尋常ならざる数の人々…
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やなせたかしの伯父・寛と千代子 ~史実ではどんな人物だったのか?『あんぱん』
「わしは千代子に惚れて、一緒になれて、これ以上の人生はないと思うちゅう」病院が夫の代で終わっ…
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『弟は危険人物だった?』なぜ上級武家では弟殺しが多かったのか
多くの上級武家で弟は排除された2026年のNHK大河ドラマは、2年ぶりに戦国時代をテーマ…
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『19歳で芥川賞候補、21歳で自ら命を絶つ』天才文学少女・久坂葉子の鮮烈な生涯
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コロンブスが追い求めた「金の実」~だが見つけたのは、辛さだった
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日露戦争を勝利へと導いたドイツ人とは? メッケルと児玉源太郎が紡いだ師弟の絆
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【死罪のほうがマシ?】江戸時代の過酷すぎる牢暮らしとは ~脱獄や自害した知識人たち
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『妻や妾100人以上』好色だった漢の丞相が104歳まで生きた「驚きの長寿の秘密」とは
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【その生き様が表れる】戦場で壮絶に散った戦国武将たちの辞世の句