調べてみた
-
武田勝頼は愚将ではなかった? 信長・家康・謙信からの評価とは
天正10年(1582年)3月11日、甲斐天目山にて武田勝頼主従が自刃。ここに戦国大名としての武田家は滅亡しました。武田勝頼と言えば、偉大なる父・武田信玄を超えようと躍起になった結果、重臣たちの信望を失った愚将として語られがちです。…
-
『古代中国』妃や宮女たちが頼った、今では信じられない避妊法とは
「子をなすこと」は、人類の営みの中でも最も根源的な行為のひとつである。だがその一方で、「子を…
-
京都の「裏」を探索! 〜西陣に残る不思議な伝承と庶民信仰の寺社たち
コロナがひと段落したなんて言われる昨今、ワールドワイドな観光地として、世界中から尋常ならざる数の人々…
-
『神話に登場する機動兵器』天空の城ラピュータ、ヴィマナ、ナグルファルとは
機械は、文明が生み出した最たる利器である。人類は、既存の道具を機械化することで、その…
-
やなせたかしの伯父・寛と千代子 ~史実ではどんな人物だったのか?『あんぱん』
「わしは千代子に惚れて、一緒になれて、これ以上の人生はないと思うちゅう」病院が夫の代で終わっ…
-
『門や扉をつかさどる神々』ローマ・中国・魔術書に描かれた守護の伝説とは
-
『悪魔にされてしまった』邪教として異端視された多神教の神々たち
-
『弟は危険人物だった?』なぜ上級武家では弟殺しが多かったのか
-
【北朝鮮は招待、なぜ台湾は外された?】被爆80年目の長崎平和祈念式典
-
『19歳で芥川賞候補、21歳で自ら命を絶つ』天才文学少女・久坂葉子の鮮烈な生涯
-
コロンブスが追い求めた「金の実」~だが見つけたのは、辛さだった