関ケ原の戦い
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徳川家康も震え上がった?天下分け目の関ヶ原合戦で見せた毛利秀元の執念!
時は戦国末期の慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原合戦において西軍の総大将となりながら、一戦も交えることなく敗れてしまった毛利輝元(もうり てるもと)。これは東軍の大将・徳川家康(とくがわ いえやす)と交わした「中立を…
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関ケ原の戦いで西軍についたのに復活できた武将たち【丹羽長重、立花宗茂】
関ケ原の戦い慶長5年(1600年)に行われた、所謂・天下分け目の合戦と言われているのが「…
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村上武吉と村上水軍について調べてみた【海の関ヶ原】
瀬戸内海に浮かぶ芸予(げいよ)諸島の周辺は、潮の流れが速く、航海の難所であり、地元の住人は「船に乗る…
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【島左近・大谷吉継・小早川秀秋】西軍武将の新たな真実
石田三成の軍師である「島左近」は謎の多い人物である。現在、島左近は「多聞院(たもんいん)日記…
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小早川秀秋は裏切り者ではなく優柔不断だった?!
関ヶ原の戦いに終止符を打つ「裏切り」を演じた小早川秀秋。この事実により、後世では「裏切り者」「小心者…
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石田三成は優秀な家臣だったのか調べてみた
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関ケ原の戦い以降の毛利氏と明治維新
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関ケ原の戦い以降の長宗我部氏と土佐について