安土桃山時代

関ケ原の戦い以降の長宗我部氏と土佐について

1. はじめに

「長宗我部氏-始まりから四国平定まで-」では、長宗我部氏の先祖から長宗我部と名乗るまでの過程、長宗我部と名乗ってから土佐を統一するまでの過程、土佐の戦国大名として四国を統一するまでの過程について取り上げた。

ここでは、四国平定後の長宗我部氏について、豊臣秀吉に従うことになった経緯、関ケ原の戦いで西軍についた経緯、関ケ原の戦い後の長宗我部氏について取り上げたい。

 

2. 四国平定後の長宗我部氏

土佐の戦国大名だった長宗我部元親は1585年までに四国統一を果たしたが、豊臣秀吉が紀州を平定してから、元親に伊予と讃岐の二カ国を返上するようにという命令を出した。

長宗我部

元親がこの秀吉の命令を拒否したところ、秀吉は讃岐国に黒田官兵衛宇喜多秀家らを、伊予国に小早川隆景吉川元長をそれぞれ同時に派遣して、総勢10万の兵を送った。

讃岐国で長宗我部元親が戦いに敗れると、戦況が不利になり、秀吉に降伏することを決めた。四国を統一したが、阿波国・佐貫国・伊予国を没収され、土佐国のみ安堵されることになった。以降、土佐一国の戦国大名として豊臣秀吉に従うことになる。

豊臣政権に従ってから、1586年の戸次川の戦いに参加した。戸次川の戦いでは、大友義統が島津氏の攻撃を受けていたため、大友氏の援軍として参戦することになった。この戦いは豊臣秀吉の九州征伐の一環であったが、秀吉の軍は島津軍に敗走した。このとき、長宗我部元親は嫡男の信親とともに従軍したが、信親は戦死した。

1588年に、長宗我部元親は本拠地を岡豊城から大高坂城へ移転することを決めた。同時に、家督は四男の盛親に家督を譲ることも決めた。
1590年には小田原征伐に参加する。元親は小田原城を水軍を率いて海から包囲したといわれている。

1592年と1597年の朝鮮出兵では水軍を率いて兵を出した。また、1596年のサン=フェリペ号事件に対処したことで、秀吉によるキリスト教弾圧のきっかけを作ったといわれている。
1599年に長宗我部元親は病没し、家督は盛親に譲られる。その翌年に関ケ原の戦いが起こることになる。

 

3. 関ケ原の戦い以降の長宗我部氏

長宗我部盛親が家督を継いだ翌年1600年に関ケ原の戦いが起こる。盛親は当初、東軍に味方する予定だったが、西軍の石田三成が東軍に味方する大名の動きを止めるために関所を設けた。関ケ原の戦いの直前に、大坂城の大名屋敷にいる大名の妻子を人質にとることで兵を集めていたともいわれている。

関ケ原の戦いでは、西軍につくことになり主力部隊となった。長宗我部盛親は毛利秀元吉川広家らとともに徳川家康の本陣の背後にある南宮山に布陣していた。実際に戦いが始まると、徳川家康と内応していた吉川広家の阻害により、長宗我部盛親は戦うことなく負け、土佐国は改易されることになった。

長宗我部盛親は改易後、浪人として生活していたが、豊臣方より招かれて大坂の陣に参戦することになった。大坂の陣での盛親の活躍については、木村重成後藤又兵衛らとともに徳川方の井伊直孝松平忠直とともに戦い、損害を与えたといわれている。

翌年の大坂夏の陣では、木村重成とともに河内の若江と八尾に向けて出陣した。「八尾・若江の戦い」と呼ばれる合戦で、藤堂高虎を壊滅に近いところまで追いつめ、力を存分に発揮するが、若江で木村重成が敗北したことにより、大坂城へ撤退することになった。撤退の際、盛親の布陣は損害を受け、「天王寺・岡山の戦い」に参戦できなかった。

大坂の陣の後、長宗我部盛親は捕らえられ、その子孫とともに斬首された。これにより長宗我部氏は滅亡したといわれていたが、長宗我部盛高の子孫と称する人が現れたり、他家の養子となったりしたことで吉良氏や島氏が長宗我部の血を伝えているといわれている。

 

4. まとめ

今回は四国統一以降の長宗我部氏。そして、四国を統一してから土佐一国になった経緯、関ケ原の戦いで敗北してからの長宗我部氏について取り上げた。長宗我部盛親の子孫にまつわる今後の研究が期待される。

最後に、長宗我部氏が関ケ原の戦いで改易されてからの土佐について取り上げたい。土佐には山内一豊が転封され、江戸幕府が終わるまで山内氏が支配していた。江戸時代、土佐藩では長宗我部の旧家臣が「下士」、山内の家臣を「上士」とそれぞれ呼ばれ、身分差ができたといわれている。幕末には山内容堂が大政奉還を進言したり、下士のなかでは坂本龍馬が活躍したりと歴史の転換点となる出来事が土佐藩から起こっていることでも知られている。

アバター

officehiguchi

投稿者の記事一覧

主に戦国時代を中心とした広範囲な知識の記述が得意

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 実は棚ぼただった?豊臣秀吉の関白就任
  2. 大友宗麟について調べてみた【キリシタン大名】
  3. 織田信長の11人の息子たちの末路 ~ 「本能寺の変」以後どうなっ…
  4. 朝倉宗滴【信長に着目していた朝倉家全盛期を築いた戦国初期の名将】…
  5. 大久保忠世 「信玄、信長、秀吉に称賛された徳川十六神将」
  6. 伊達成実・伊達家一の猛将【出奔するも戻ってきた政宗の右腕】
  7. 塚原卜伝 【剣聖と呼ばれた生涯不敗の剣豪】
  8. 石川数正とは ~家康から秀吉に鞍替えした武将

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

恋のタイミング【漫画~キヒロの青春】⑨

数年ぶりの再開【漫画~キヒロの青春】⑩&n…

精神科医がすすめる「コロナ不安対処法」

新型コロナウイルスが全世界的にパンデミックを起こしていることにより、心療内科・精神科のクリニ…

【人生の指南書】藤堂高虎の遺訓二百ヶ条 ~現代にも通じる武将の知恵とは

安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍し、築城の名人としても知られる戦国武将・藤堂高虎(とうどう たか…

聞きたくない話【漫画~キヒロの青春】51

今週から少し更新ペースを上げていきます!屈辱的な展開【漫画~キヒロの青春】5…

コロナ明けの中国。旅行事情やいかに!?

長期戦になったコロナ対策中国湖北省武漢から始まったと言われる新型コロナウイルスの世界的大流行。…

アーカイブ

PAGE TOP