備中松山城(岡山県高梁市)は、標高480mの臥牛山(がぎゅうざん)の懐深く曲輪群を形成する。そして二層天守の白と黒のコントラストが木々の緑に鮮やかに浮き立つ。天守は江戸後期の築城だが、戦国期、すでに臥牛山の4つの峰々は要塞化されていた。…
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ヨーロッパの古城には、見る者を魅了してやまない煌びやかな「鏡の部屋」が数多く存在します。…
武田信玄が統一を成し遂げた甲斐の国、つまり現在の山梨県には、今も武田家ゆかりの史跡が多く残さ…
信長の同盟者 浅井長政浅井長政(あざいながまさ)は北近江を治めていた戦国大名であり、織田…
改めて言われるまでもなく、世の中とは実に不条理なもので、善行を積んだからと言って必ずしもよい結果がも…
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江戸城内での刃傷事件江戸城内での刃傷事件は過去に7件起きており(※9件または11件とも)…
関西地域は、古墳時代にヤマト王権が支配を開始して以来、朝廷や都が設置される拠点であり、長い歴…
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