地理

通行料4万円! 波崎シーサイド道路に誕生した「平成の関所」とは? 【地権者vs市との泥沼裁判】

波崎(はさき)シーサイド道路」は、茨城県の旧波崎町(現在の神栖市)を走る全長11kmの道路です。

1969年から1970年にかけて開通したシーサイド道路は、鹿島臨海工業地帯へのアクセス道路として地元住民に大いに利用されてきました。

しかし1994年以降、この道路の一部区間が私有地を通っていることが判明し、地権者と地元自治体との間で対立が発生しました。

今回の記事では、この波崎シーサイド道路をめぐって長年続いた、泥沼の経緯について振り返りたいと思います。

通行料4万円! 波崎シーサイド道路に誕生した「平成の関所」とは?

画像:波崎海水浴場 public domain

原因は市の測量ミス

1994年、波崎シーサイド道路沿いの土地を購入した、ある地権者が測量を行ったところ予期せぬ事実が判明しました。測量結果から購入した土地の一部が、シーサイド道路にかかっていることが明らかになったのです。

この地権者は土地購入時に旧波崎町の役場と面談し、該当する土地の地図を確認した上で、道路が通っていないことを双方で確認していました。

しかし再び調べてみると、シーサイド道路の約100mの区間が、購入したはずの私有地内を通っていることが判明したのです。

地権者は驚きと憤りを隠しきれませんでした。土地購入時には道路の存在をまったく知らされておらず、誤解に基づいて契約をしてしまったとして、旧波崎町に対して強く抗議します。

しかし旧波崎町は、開通から長い期間が経過したという事情を理由に、これを認めませんでした。

1996年、地権者は旧波崎町を相手取り裁判を起こします。土地の境界線確定と所有権の確認を求めたのです。

10年以上に及ぶ対立と法廷闘争の幕開けでした。地権者と自治体との溝は徐々に深くなっていきます。

長年にわたる泥沼裁判と関所の誕生

地権者と旧波崎町のあいだで争われた裁判は、1996年の提訴から水戸地方裁判所を皮切りに、東京高等裁判所、最高裁判所へと持ち込まれ、実に8年以上に及びました。

2004年、ついに判決が下されます。最高裁での判決が確定し、「私有地部分は地権者の正当な所有物である」と認められたのです。裁判所は旧波崎町の土地使用の正当性を認めませんでした。

しかし勝訴した地権者にとっても、多額の裁判費用を自ら負担する結果となりました。また長期にわたる裁判は家庭を疲弊させ、精神的苦痛も計り知れないものがありました。そのため地権者は裁判による損害賠償として、旧波崎町に対し3億円の支払いを要求します。

旧波崎町はこれを拒否。2005年には神栖市との合併が実施されますが、新しい市の当局者も旧波崎町の方針を引き継ぎ、地権者との交渉は平行線をたどりました。

2006年、我慢の限界に達した地権者は、私有地の入り口に大きなバリケードを設置。地権者による通行料の徴収も始まりました。これを受けて神栖市は前後500mの道路を封鎖するという対抗措置に出ます。

 

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こうした経緯から「平成の関所」は誕生してしまったのです。

現場はものものしい雰囲気

波崎シーサイド道路をめぐる対立は、地権者と行政だけでなく、実際に道路を利用する通行者にも深刻な影響を及ぼしました。

2009年9月、横浜から訪れたドライバーと地権者が道路の通行を巡って口論となり、地権者がドライバーの車のガラスを割る事件が発生しています。

2017年頃から、地権者は通行料金を500円から1万円に引き上げます。2019年には2万に、2022年には4万円に値上がりしています。看板を無視して通行する者に対しても、同様に4万円の罰金です。

道路の入り口はものものしい雰囲気に包まれます。監視カメラとスピーカーが備え付けられ、監視小屋から24時間の監視が続くような状態でした。警察も民事不介入の立場を取らざるを得ず、法的な解決にも至っていないため、通行者と地権者の対立はより先鋭化していきました。

2022年11月、横浜から訪れた男性が看板を無視して通行したところ、地権者の息子と口論に発展。長男が運転する軽トラに男性が轢かれ、重傷を負う事件まで発生しています。

度重なるトラブルにより地元住民も道路の迂回を強いられるなど、行政と地権者による長期的な対立は地域社会に深い影を落としていきました。

事態は急展開を迎える

2020年、長年対立が続けていた地権者が亡くなり、土地が長男に相続されました。

そして長男は土地の売却に前向きな姿勢を見せたのです。

これを受けて2022年2月、神栖市は地権者(長男)と合意に達します。市は和解金として1900万円、監視小屋の撤去費用として2100万円、合計4000万円を支払うことになりました。1994年から続いた対立に一応の決着がついた形です。

しかし、問題が解決したわけではありません。

シーサイド道路が通っている私有地には長男の土地以外にも、複数の共有者が存在しているからです。残る地権者との個別交渉が残っており、道路の全面解放にはまだまだ時間がかかることが予想されていました。

しかし2023年6月、大方の予想に反して事態は急展開を迎えます。神栖市の石田進市長が、「7月10日の全面開通を目指して整備を進めている」とコメントしたのです。

そして2023年7月10日午前10時30分、ついにシーサイド道路が全面開通しました。全面開通に至るまでの詳細は今のところ分かっていません。

波崎は海岸線が美しく、漁業が盛んで新鮮な海の幸が豊富な街です。キャンプ場も点在しており、自然を満喫できるスポットになっています。

今回の全面開通をきっかけに人気の観光地に発展してほしいと思います。

 

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村上俊樹

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“進撃”の元教員 大学院のときは、哲学を少し。その後、高校の社会科教員を10年ほど。生徒からのあだ名は“巨人”。身長が高いので。今はライターとして色々と。フリーランスでライターもしていますので、DMなどいただけると幸いです。
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